霊廟の信伏壇が完成-霊山別付の自覚をあらたに-

<信伏壇における壮年部、婦人部、青年部の代表者と正定聚の三宝礼> 

 平成29年4月23日(日)、教祖御聖地臥龍山において、杉崎法瑞管長先生ご導師のもと、臥龍山龍神祭が厳修されました。
 午前10時20分、管長先生はじめ宣教師、正定聚、供養指導者、各部代表者が龍王殿の前に集合しました。読経中、昨年の安立行旗の性抜きの後、本年度の安立行旗が龍王殿境内に奉納されました。
 このあと行列は坂道をのぼって霊山門へ移動いたしました。管長先生によって結界が開かれ、一行は歴代管長廟の前に整列。管長と副管長が除幕の紅白紐を両側から引くと、霊山別付の碑がその威容を現しました。一同は順次、霊山の誓いを奉納していきました。
 霊山信伏壇においては管長、副管長を筆頭に三宝礼を行じたあと、安立廟の前で読経が営まれました。
 最後に一行はご信徒の集う護摩供養場へ移動しました。結界に入って読経が始まると、管長先生の手により護摩壇に点火。信徒多数の見守る中、護摩壇からたちまち浄火の炎が立ちのぼり、臥龍山正定聚によってお焚き上げが始まりました。
 読経を終え、宣教師および臥龍山正定聚が結界を出たあと、管長先生が参列くださったご信徒にご挨拶をなさいました。管長先生は、開教百周年以降の教団の布教理念として一昨年に発願された信伏行の礼拝壇がこのたび完成の運びとなったことを、あらためて参列のご信徒に報告され、御礼の言葉をのべられましました。法華経如来寿量品の「一心欲見佛 不自惜身命」の教えの通り深く強い信仰の心持ちを実践していただくことをお願いされました。
 管長先生がご挨拶を終え、宣教師一同が退場。参列のご信徒におにぎりが配られ、式典が終了いたしました。 合掌

-「大乗信報」第1251号より転載)

<霊山信伏壇、霊山門、霊山別付の碑が設置された霊廟> 
<霊山門を出て護摩場へ向かう>
<管長先生のご挨拶> 

建立趣意書

 <霊山信伏壇・霊山別付の碑・霊山門の完成予想イメージ>

霊山信伏壇等建立趣意書

 教団の指針「霊山別付の自覚をもって 自らの身命を惜しまず」は、私どもが、開教百周年の際、インドの霊鷲山や総本山で御本佛に対して行った「霊山の誓い」を基としています。安立行大菩薩の血脈を継ぐことは霊鷲山で佛様が地涌の菩薩に対して特別にお与えになられた妙法広宣流布の使命を他ならぬ我々が担っていくことである、という強い自覚が無ければ益々混迷を深める現代において人々を導き、教団を次なる百年に向けて発展させていくことは出来ません。
 私は就任以来、今再び霊山別付の精神を大乗教に呼び戻すことを念願し、管長宣教などの機会を捉えて、法華経如来寿量品中の経説を紐解いて参りました。即ち、

衆見我滅度 廣供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見佛 不自惜身命
時我及衆僧 倶出霊鷲山

がそれあり、ここではまず舎利供養・先祖供養が信仰の基本であることが示されます。そして信伏行と慈悲・誠・堪忍の三徳の実践を通じて、修行者の中に、佛様と共に在らんことを心から欲し、その為には命さえ惜しまないという程の深く強固な信仰心が醸成されていき、ついには久遠本佛による救済にあずかることが出来ると説示されています。私は百周年以降の教団の布教理念をこの経義に求め、既に「血脈相承の心得」として全宣教師が共有するところであります。

 そこで此の度、心得の内容を周知徹底し、かつ実践に移すべく、阿久比聖地臥龍山の歴代管長廟及び臥龍山安立廟の区域を、安立行菩薩の眷属として教団を支えて来られた先師に対して私どもの信伏の姿を表す霊廟として整備して参ることを発願いたしました。先ずは速やかに「霊山信伏壇」及び「霊山別付の碑」を設置し、信伏行をこれからの教団の根本行であることを示して参ります。その上で、霊廟の結界を示す「霊山門」を建立し、ご供養をお寄せ頂いた方々のご芳名は霊山門袖塀に刻銘させて頂きます。

 私たちが安立行大菩薩の眷属であることを深く自覚し、霊山別付の使命を果たしていくならば、必ずや「時我及衆僧 倶出霊鷲山」、すなわち臥龍山の霊廟は我々にとっての霊鷲山となり、本佛は安立行大菩薩、歴代管長そして先師を伴って必ず我々の前に現れ、救いの手を差し伸べて下さるのであります。皆様の絶大なるご協力をお願い申し上げます。

合掌

大乗教管長 杉崎法瑞

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