「宝塔」第234号
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心のゆとり

 老人A「今日は早く起きられましたか」

 老人B「早く起きるときもあるし、起きられんときもあるわね」

 この会話はちょっとおかしい。BさんはAさんの質問に対して答えたつもりだが、答えになっていない。老人の会話を聞いていると変である。

 耳が遠いせいで、相手の声がしっかり聞き取れていない。だからちぐはぐなのだ。でも面白いことに、双方全くその事に気付いていない。お互いに了解しているようだ。間違っていることに気付かないという事は、世の中に沢山あります。私なども思い違いしたり、知らない為に間違った事を言ったり行ったりする事があります。

 世の中が進歩してきて、便利な生活や豊かな暮らしが出来て幸せを感じますが、近年、人間の間違った考え方に警鐘(けいしょう)が鳴らされています。

 便利な暮らしの反面、公害という問題、交通事故という悲劇。豊かさの反面、大気汚染、自然破壊で動植物が苦しみ、人間にまで生命を脅(おびや)かされる結果が生じるこの頃です。間違っている事に気が付かない事は、恐ろしい事です。

 前後の見境がないという言葉があります。

今こうしたらどうなるかを考えない。どうにかなるさという浅はかな考えから、にっちもさっちもならなく成って苦しんでいる人の多い事に驚かされます。

 仏教の言葉に自悉(じし)という言葉があります。

 間違いに気が付く事。反省とか懺悔というような意味です。正しいと思っていても間違っている事があるから時々は自分を振り返らなくてはいけないと教えられます。知らないうちに他人に迷惑を掛けたり、困らせたりもしている自分なのです。

 そこで、自分を改める必要があります。

 いまゴミは社会問題となっています。その対策の為にゴミを作らない。ペットボトルや生ゴミ、粗大ゴミなどを少なくする為にリサイクル運動が行われるようになりました。物を大切にする事にやっと気付くようになりました。間違っていたら改めることです。

 お盆供養の行事が行われます。これは欲の深い私たちが欲を少なくして他人に施(ほどこ)しをするという功徳の行事です。人間の争いのほとんどは欲が基(もと)です。

 他人に親切にする、施しをするという行いが平和や円満につながります。この世の中が平和になれば、家庭が円満になれば、親やご先祖も安心されます。ご先祖の御霊(みたま)が安らかになって頂く為には、私たちが親やご先祖のお蔭を感謝して、お互いに仲良く施し合う生活をする事です。

 世の中には同じ親から生まれた兄弟でも仲良く出来ない人達がいます。それは欲の間違いが原因しています。よく聞く問題ですが、親の遺産相続がもとで仲違(なかたが)いする事も多いのです。それはまるで子供がおやつを取り合うのに似ています。損だ損だと言って争う姿は餓鬼道です。相手が喜ぶ事を考えず自分の欲だけです。

 人間は誰しも親切にされれば嬉しく、有り難く思います。そこには恨みもなく憎しみもありません。

 その人を大切に思います。

 私がインドのお寺に滞在していた時、一人の貧しい体の弱い老人と知り合いました。この人の奥さんは病気で、私はこの人に案内され彼の家に行き、見舞いました。少しですが身体の為になるものを食べて頂こうと思い、お金を渡したことがありました。その後、彼に会う度、声を掛け安否を聞きました。残念でしたが数年後、奥さんは死んだそうです。そして子持ちの女性と再婚しました。でも相変わらずの貧乏です。正直者で商売は下手です。気の毒に思い、時々店の品物を買ってやりました。

 私が仕事を終えて日本に帰る時、車の窓にしがみついて、泣きながら別れを惜(お)しんでくれたのです。日本人とインド人。国が違い、言葉もよく分かりません。でも、親切にされれば同じ人間です。好意を持ってくれます。

 昔のことです。インドの少年でダイアナンド・プラサドという子供がいました。私と気が合うのかいつも私の顔を見ると寄ってきて何処へでもついてきました。この子は、すぐに日本語を覚えて上手に喋るようになり、私には商売抜きで接して来てくれました。それが余計に可愛かったのです。

 ある時、彼のお父さんが、不況の為、商売(油商)が思わしくなくなりピンチとなりました。その時、彼は青年に成っていました。その事を聞いて、僅(わず)かですがお金を都合してあげました。些細(ささい)な事ですが親切が嬉しいのか、私がインドへ行くと彼は自分の家へ連れて行きもてなしてくれました。親も叔父さんも、おばあちゃんも、皆集まってきました。彼は三人も子供のお父さんに成っていました。インドの名物を日本に送ってくれた事もあり友好を深めました。

 世界は国境を越えて友情で結ばれたいと思っているのです。

 ましてや兄弟という一番身近な関係で憎しみ合っていては寂しい限りです。欲から離れて人間同士助け合えば必ず心も通じ結ばれるでしょう。これこそ仏教で言う慈悲の心です。

 インドの或る国の王様と御后(おきさき)が月の美しい夜、二人で月を眺めながら、美しい妻に向かって尋ねました。

 「御后よ、この世で一番好きな人は一体誰なのか?」

 心の中で王様はきっとそれは王様貴方ですという言葉が返ってくると思っていましたら、それは意外にも、

 「王様、世界で一番好きな人と言えば、私です」

と御后は答えたのです。王様は思いも寄らぬ返事に驚きました。

 そうです。御后の言葉は、正直な本当の言葉でした。自分こそ一番大切な存在。誰もが自分こそ一番可愛いのです。

 仏様は「だからこそ他人を大切にしなければならない、大切にされれば誰でも喜ぶ」と言われます。

 供養とは敬(うやま)いであり、奉仕の事です。私たちは、

仏様のお蔭

社会のお蔭

国のお蔭

親や先祖のお蔭

で生かされています。

 だからこそそれに対して報(むく)いなくてはならないのです。仏様にご供養する、社会に奉仕する、国に奉仕する、そして先祖に供養する事は人間として当然ではないでしょうか。

 お盆で大切な事は、このような心掛けなのではないでしょうか。親を大切にする、先祖を敬う事の出来る人は何人にも優しい慈悲の心を与えられる人と思います。

 その人は必ず誰からも愛され慕われる方であり、幸福の持ち主と言えます。

親に感謝していますか

先祖の供養をしていますか

社会に奉仕していますか

仏様を拝みますか

 毎日の生活にこの様な心掛けを持って生活している自分かどうか、自分を振り返りましょう。

 今の社会は余りにも自己中心的で、権利を主張し快楽的な人が多すぎます。

 家庭の中も争いが絶えず、友人同士も見栄の張り合いで心底信頼出来る人は少ない様です。

 お盆の心は助け合いの心です。お盆に家族や兄弟を集めて共に語り、食し、心を開き、和(なご)む姿に先祖も親もきっと安心されるでしょう。

 忙しい毎日ですが、ちょっと仕事の手を休めお墓にお花を供えてお参りしましょう。

合掌

宝塔第234号(平成11年7月1日発行)