「宝塔」第239号
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信仰の意味

破壊を目的とした思想の攻撃や
権利のみを主張する がめつい発言
そんなものが、あちらこちらで吹きすさんでいる
願わくば、今こそ
高い理想と 尊い使命と 温かい愛情の
その風をいっぱいに はらんだ帆をあげよう
そして、世の乱れた荒波を乗り越えていこう
本仏(ほんぶつ)さまや 十方諸仏(じっぽうしょぶつ)さま
迷える人の心を 愚(おろ)かな凡夫の考えを
大慈悲の清らかなる水にて
どうか 目覚めさせたまえ

 ある奥さんに、こんな相談をされたことがありました。病気というほどではないのですが、右の奥歯が痛いと言うのです。ところが歯医者にいっても虫歯ではないという診断。丁寧に検査してもらっても、原因はわかりませんでした。

 まず、拝ませていただこうかと思ったら、奥さんから矢継ぎ早に質問がきました。

 「治るでしょうか。痛みは止まりますか。いつ良くなりますか。教えて下さい。ある方に聞いて、お経をあげてもらってもちっとも治りません。どうしてですか」

 横に付き添って来た息子さんが、嫌な顔をされました。そこで、奥さんではなく息子さんに尋ねました。

 「いつ頃から痛いのかなぁ。どんなふうに痛いんですか。寝られないことがありますか」

 息子さんは詳しく教えてくれました。すると奥さんが私にまた聞きます。

 「どうして、私に聞かないんですか。なぜ息子にばかり聞くんですか。痛いのは私なんですよ」

 「奥さん、病気というのは大体は医者でなんとかなります。なのに、ここにみえたという事は、信仰を頼りにするとは、よほど困ってのことだと思います。それは奥さんの痛みだけが、ここに足を運ばせただけではないんですよ。息子さんをはじめ、奥さんの周りにいる人達も随分とあなたの病に困っているんですよ」

 「どうして、息子が困っているんですか」

 「気がつきませんか。あなたの病状を息子さんは全部知っている。ということは、あなたが全部息子さんに話しているということです。しかも何回も。だとすれば、きっと家族は全員、あなたの愚痴を聞かされているという事になります」

 息子さんの顔を見ると、ウンウンとうなづいていました。奥さんは真っ赤になって下を向いてしまいました。

 「病の原因は色々あります。あなたの過去の原因を、ここで教え示して反省することは大切です。しかし、それだけで『痛い、辛い』の愚痴を言いつづけていては、何も変わりません。多分家族に向かって『痛くない奴に何がわかる』のひとことぐらい言ったことがあるんじゃないですか。よく考えてみて下さい」

 「その通りです。でも痛いのはどうしようもない」

 「ですから痛いのを我慢せよ。と言っているのではありません。痛いという思いを『ありがとう』という言葉に変えて家族に言ってごらんなさい。現にこうしてあなたのために遠くまで連れてきてくれる息子さんに感謝の言葉を言いましたか」

 「言っていません。息子だから当たり前だと思っていました。じゃあ、家族に感謝すればいいんですね。そして、ご先祖に手を合わせていけば大丈夫ですね」

 奥さんが怖かったのは、痛みよりも、その痛みの原因が分からなかったことでした。不安だったんです。自分の愚かさに気づき、家族に感謝し実行することをお誓いされて帰られました。

 2週間の後に電話を下さいました。家族が自分のために尽くしてくれたことに気づき、謝ったこと。そして、しばらくして、まるで痛みが嘘の様に消えたこと。喜んで報告をして下さいました。

 わたしたちは何のために信仰をしているのてしょうか。信仰の本当の意味はなんでしょうか。

 自分の気にいらなければ怒り、思うようにならない時にはスネる。おまけに他人の悪口を言って、相手をおとしいれようとする。凡夫の姿とは、とても醜(みにく)いものです。

 こんな姿をしていて、「わたしは信仰をしている」とは、実に哀れになるばかりです。

 私たちに必要なことは、間違った考えの信仰はしてはいけないということなのです。自分の我儘(わがまま)な見方や考え方だけで他人を決めつけたり、自分だけは分かっているんだと、自惚(うぬぼ)れてみたりする。いつしか押しつけの信仰へと変わっていってしまいます。

 本当の信仰とは、他人を思いやり、どんな人にも喜んでもらいたい、どんな時にも愛情のこもった言葉をかけ、苦しみや悲しみを共に味わっていこうと努力してゆく姿をいいます。

            

 ある男性と、こんなお話しをする機会がありました。 「わたしは仏さまの教えを信仰している」と話すと、その方は「俺は宗教なんて大嫌いだ」と反論されました。かなり強い言葉で言われた後に、こう付け加えられたのでした。「ただなぁ、信ずるということは素晴らしい事や。それは理屈抜きや」

 どういうことかと聞いてみると、戦争での体験を話して下さったのです。

 「実は戦争に行って不思議なことがあったんだ。おれは出征して、海軍の輸送部隊に配属された。10数隻の輸送艦を瀬戸内海から沖縄を経由して、台湾そしてフィリピンへと進めていく予定だったんだ。
 ところが台湾沖で敵の潜水艦から攻撃を受けた。ほとんどの輸送艦が沈んでゆく。その時、自分たちの乗っている艦にも、魚雷が白い波をたてて進んでくるのがみえたんだ。
 どうしていいのかわからない。その一瞬、年老いた母親の顔が浮かんできたんだ。すると、母親が出征する前に俺に言った言葉が聞こえてきたんだよ。

 『お前はなぁ、神さんも仏さんも信じんと言うけど、もし万が一の時があったら、観音さまを思い出せ。そんで「観音さま」と念じて唱えんさいよ。いいか、わしがなぁ、朝晩に観音さんに頼んどくでなぁ。きっと観音さまやご先祖さまが護って下さるで』

 それが頭ん中にひらめいた瞬間、『観音さま!おふくろ!頼む』と心の中で叫びながら、そこにいた兵隊達に『撃て!』と命令していた。
 持っている銃で魚雷を撃つ。無意味な、バカみたいな事だと思うだろうが、それが命中したんだ。魚雷は一歩手前で爆発、正に奇跡的に助かったんだよ。
だから信ずるということは素晴らしい事や。これだけは理屈ぬきや。あんたも信仰をするんやったら頑張んなさいよ」

 そう何度も繰り返して励まして下さいました。

 信仰とは、けっして不思議な世界でも、奇妙な世界でもありません。現実に「信じる」ことは、ごく自然に出来ることです。

 そして、正しい信仰の意味を知って、心から喜びをもって、どんな時でも恐れや迷いを持つことなく、多くのご先祖に感謝をして、仏さまの教えのごとくに、今現在を一生懸命に精進し努力すれば、必ずや道はひらけてくるのです。

合掌

宝塔第239号(平成11年12月1日発行)