「宝塔」第264号
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   生かされている人間

 人は、 一人では生きていけない。
 
 有形・無形の量り知れぬ力に生かされて人は生きている。
 
 この身を生かしている大きな慈悲の力を感得(かんとく)した時、 その人の人生は大きくなる。 
 
 仏典のなかに 「匂い盗人(ぬすっと)」 と言うお話があります。 
 一人の沙門(しゃもん:求道の修行者) が蓮池(はすいけ)のふちに腰をおろして、 旅の疲れを癒(いや)していました。 芳(かぐわ)しい蓮の匂いが漂ってきます。 彼は貪るようにその匂いを嗅いで、 しばしうっとりとしていました。 
 ふと気がつくと、 怪しげな男が池の中から蓮根(れんこん)を掘って盗んでいきました。 貧苦(ひんく)の故であろうが、 盗みをしてはいけないと思いながら、 その後ろ姿を見送っていました。 その時、 背後から、
 「あなたは、 そこで何をしているのか」 
 と、 咎(たしな)めるような声がしました。 驚いて振り向くと、 立派な身なりをした長者が立っています。 
 彼は、 変な疑いをかけられないように言いました。
 沙門:「私は旅の修行者ですが、 あまり蓮の匂いがよいのでここでひと休みしています。 ところで、 あなたはどなたでしょうか」 
 長者:「わたしは、 この池の持ち主である」 
 沙門:「そうですか、 それでは、 今この池の蓮根を盗んだ男がいます。 あちらへ逃げていきましたが、 追いかけていけば、 捕まえることが出来るでしょう」 
 すると、 長者は意外にも哀れむように沙門を見て言いました。
  「そんなことは、 どうでもよい。 それよりも、 あなたは、 誰にことわって、 この池の蓮の匂いを嗅いでいるのか。 いやしくも求道の修行者たるものが、 持ち主にことわりもなく、 またお礼も言わずに、 勝手に匂いを嗅いで楽しんでいる。 蓮根泥棒のことを訴えるあなた自身は、 匂い泥棒ではないか」                
 その言葉を聞いて、 沙門は、 ハッと我が心の迂闊(うかつ)さに気がついて、 長者を礼拝したというお話です。

         求めずして与えられている 

 匂いは、 向こうから勝手に匂って来たものです。 別にこちらから求めたものではありませんから、 お礼など言う必要はないと思うかもしれませんが、 実は私どもは日々求もとめずして無量の恩恵を受けています。 
 緑の樹木が発散する芳香(ほうこう)は、 乱れた人の心を静めて安らぎを与えてくれます。 身体の機能にもよい影響を与えてくれます。 色とりどりに咲く草花は、 黙々と人の心を慰めています。 さらに、 よく考えてみますと、 人間が生存するために絶対に必要なものは、 みな自然が与えていてくれるものです。 太陽の光と熱も、 空気も、 水も、 そして動物も草木も。しかも、 自然はすべて無償でこの恩恵を施しています。使用料も取りません。 税金も取りません。     
 人間が高いお金を使って造ったり、 買ったりしているものは、 生活にちょっと便利だというだけのものです。 生存の為の絶対条件になるものは、 何一つもありません。 私ども人間は、 自分たちを生かしている一番大切なものの恩恵を、 忘れてはいないでしょうか。 
 物の豊かな生活を追求して、 技術文明を誇る人間の思い上がりは、 バベルの塔よりも愚かな砂上の楼閣を造ることに心を奪われてはいないでしょうか。 現代科学の頂点に核兵器が居座っていることをみれば、 よく分かることです。 

 悪人のよって立つ地盤は、 恩を知らぬことと感謝の念をもたぬことである

 悪人といっても凶悪な人のことではなくて、 正しい考え方を失っている人のことです。 むしろ、 不幸な人と言ってもよいでしょう。 不幸になる人の考え方をみますと恩を感じず、 感謝の心を失っているようです。 
 個人的な恩は別として、 人間なら誰でも平等に受けている大恩があります。 
 第一は、 自分を生み育ててくれた父母の恩です、 分かりきっていながら、 この恩を忘れている人が少なくないようです。                     
 第二は、 自然の恩です。 大自然のはたらきは、 人間生存の根本条件ですが、 当たり前のことに思って、 この恩を忘れています。                  
 第三は、 衆生の恩です。 多くの人の力が自己の存在を支えていてくれます。 この恩を知らないで、 自分勝手な行いをして、 他に迷惑をかける人があるのです。    
 第四は、 仏の恩です。 人生の苦悩を救い、 幸福への道を教え導いてくださる御恩を知らない人が多いのであります。 
 人生根本の大恩を知らずに、 わがまま勝手な生活をしているならば、 恩盗人(おんぬすっと)ということになります。 

  愛することが愛される 

 この間も、 あるおばあさんが、          
 「孫の世話が大変で、 くたびれる。 ちょこちょこ歩き回って、 目が放せないし、 時には自分のへそくりから、 おもちゃや、 おやつを買ってやらなければならないし、 楽ではないわ」
  と愚痴めいたことを言われました。 
  「おばあちゃん、 孫が可愛いでしょう」 と言いますと、   「そりゃもう可愛い」 と言います。          
 「可愛いものを可愛がることが出来て、 これほど幸せなことはありませんね」                
 「それはそうですね」                
 「おばあさん、 あなたは孫の守をしてやっているつもりでしょうが、 よく考えてごらんなさい、 本当はあなたが孫に守をしてもらっているようなものですよ。 孫にお礼を言わなければなりませんよ」 
 「なるほど、 そう言われてみると、 そうですね」   
 人の為に骨折ってあげるという気持ちでは、 苦労も増えるし不満も出ます。 自分の事として努めていけば、 苦労もまた喜びとなるのです。 

 ある未亡人の方が、 子供をかかえて生きることの苦しさに、 いっそ死んでしまおうかと、 何度も考えましたが、 その度に、 子供が不憫(ふびん)だ、 可哀相だと歯を食いしばって生きてきました。 
 やがて子供も成長し、 末の子も就職できて、 長い間の苦労も終わって、 これで楽に成れると思った時、 今まで自分は、 子供の為に苦労して生きてきたと、 恩着せがましい心でいたけれども、 そうではなかった。 実は、 子供のお蔭で生かされてきたことに、 ハッと気がついたそうです。 この人はその時の思いを、
                
 「子のために 生くる命と おもいしに
     子に 生かされし 我なりしかな」 
 
と詠んでおられます。
 よく悟ってみれば、 私たちはお互いに 「生かし生かされ」 の生活をしているのです。 仏様の言われるように
「この世は縁起(えんぎ)の世界」 です。

 人は 他を憎む為に生まれてきたのではない
 人は 他を傷つける為に生まれてきたのではない
 人は 互いに助け合う為に生まれてきたのです

 今、 自分が生きているということは、 どれほど多くの有形無形の力によって支えられているかということを悟ることができましたならば、 決してこの身を粗末にすることは出来ません。 泣いたり、 恨(うら)んだり、 わがまま勝手をしていてはならないでしょう。           
 たとえ小さなことでも、 人々に喜んで頂けるようなことをしようという感謝報恩の念を忘れぬことが大切です。この人は、 必ず悪を離れ、 良い縁に恵まれて、 幸福な人生を開いていくことが出来るのであります。                            

合掌

宝塔第264号(平成14年1月1日発行)