「宝塔」第268号
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 せまいなあ せまいなあ と言いながら
    みんなが運動場で遊んでいる
 朝礼の時に運動場の石を拾わされると
  広いなあ 広いなあ と言って拾っている

 或る小学校の児童の詩を思い出します。児童ばかりでなく、人間全部がこんな勝手な心で生きているのではないでしょうか。

 毎日教会へ日参される九十五歳のおばあさんですが、
心底喜んで若い家族の幸福と健康を祈っておられます。
 このおばあさんの若いころは、夫と二人で家庭を持って第二の人生が始まったのです。二人は田畑を借りて一生懸命に働き、少し金が出来ると田畑を買って、遂に立派な自作農として暮らせるまでになりました。
 二人は子供がなく、淋しさはあっても仲良く働き続け、財産を大きくして楽しんでいました。やがて親戚から息子をもらい、嫁をもらって前にも増して楽しい家庭生活となりました。おじいさんは、初孫の生まれた時は、大変喜んで可愛がっていましたが、二人目の孫が生まれて間もなく、病気になり帰らぬ人となってしまいました。
 その頃から大乗教の教えを聞くようになったおばあさんは、若い者が喜んでくれる様にと一生懸命でした。


  ある日、息子が「おばあさん、孫も大きく成ったし、この古い家では住みにくいから新しい家を建てたいが、いいだろうか」と申しますので、「建てるがよい。田畑の一枚か二枚売っても生活に困る様な事もなかろう。お前の好きな様に建てるがよい」と言っておきました。
 私の時代はすでに終わり、これからは若い人に世話にならねばならぬから、素直になり、息子に任せた方が良いと思い賛成しておきました。
 結局、一等地を売り、その金で家を建てることになりました。
 私は、息子に任せたものの、この親に一度の相談もなく家の建築がどんどん進むのを、何だか淋しい様な変な気持ちのする時もありましたが、教えの中に、

 責むるより 拝めよ人のあやまちを
     おのれが身にも 罪やあるなん

 と教えられますので、どうか過ちの無いようにと仏様を拝んでおりました。その間、一年はかかったでしょうか、いよいよ立派な家が完成間近になった頃、息子が、「おばあさん、新しい家に古い仏壇はつり合わないから新しいのを買った方がよいと思うが、少しお金が足りない、どうする」と申します。『自分勝手にしておいて、金の捻出(ねんしゅつ)だけは私にさせる気か』と心では思っても「また田を一枚売れば出来るだろう、どうせ買うなら良い仏壇を買っておく方がいいなあ」と申しておきました。
 それでもお蔭様で建前から順調に進み、これもおじいさんの御守護と思い、有り難く喜んでおりました。私もこの歳になって新しい家に住まわせてもらえるか、となるとおじいさんにすまない気がして、朝晩のお参りにはおじいさんのお蔭様と感謝しておりました。
 遂に家が完成し、引っ越しをする日、色々と運んでおりましたが、私の荷物は一向に運んでくれません。家族だけの内祝いの御馳走作りに忙しそうだから、そのうちに運んでくれるのだろうと思っておりました。
 そのうち夕食の前になって息子が「家の中を案内するから見て下さい」と言うので、息子の説明を聞きながら家中を見て廻りました。なるほど自慢できる立派な家でびっくりするやら嬉しいやらで、これもおじいさんのお蔭様と心の中で感謝しながら、私はどこの部屋に住むのかなあと思いながら廻りました。
 最後に仏間に入り、三方開きの立派な仏壇の前で、何もかも新しく立派に出来上がった事を感謝して拝みました。その時に「おじいさんのお蔭様で立派に出来上がり有り難うございました」と申しますと、後ろにいた息子が「おばあさん今何を言った」と大きな声で言いました。「こんな立派な家が建てられ、こんな立派な仏壇まで備え付けられたのも、みんなおじいさんのお蔭様だと感謝したのだよ」と申しますと、「何を言うか、この家は俺が色々と計画を立て苦労して出来上がったのだし、仏壇だって精一杯立派な物をと店を何軒も廻って手に入れたのだ。俺が建てたのに、おじいさんのお蔭とはとんでもない。みんな俺が建てたのだ」と怒鳴りました。何と馬鹿な事をと言おうと思いましたが、ここで言ってはいけないとじっと堪忍しました。
 夫は若いときから特別の遊びもなく、真面目一本で働き通して今の財産を築き上げ、その汗と脂の賜物(たまもの)の田地(でんち)を売って建てる事が出来たのに、何を言っている、全部俺のお蔭だなんてよく言えたものだと怒れてきましたが、孫がちょうど「おばあちゃんご飯だよ」と呼んでくれたので「ハイハイ有り難う」と食堂に行きました。折角の御馳走も何か心にこだわりがあって美味しく頂けませんでした。食事が終わって、「私はどこで住まわしてもらったらいいかの」と聞くと、息子が「年寄りは汚いし、新しい家を汚すから新しい家には住んでもらえん。今までの古い家の方がいいだろう」と申しました。その時、私は言葉には出しませんが、何の為に若いときから一生懸命に身を粉にして働き続けたのか。田地を貯えて、やれやれと思った時にはおじいさんに先立たれ、その田地を売って新しい家を建てたのに、そこに住むことが出来ないとは、怒ってはいけませんが、怒れて情けなくてどうしようもありませんでした。
 無言のまま裏の家に戻って、古い仏壇の前で、『おじいさん、財産なんて残しておくものではなかったよ。その財産でこんな情けない思いをして暮らさねばならん』と嘆き、どうしようもなく泣けてきましたが、どう思ってみても今更どうにもならない事と思うものの、次々と心にそわぬ事が思い出されて来ました。新しい家の方からは笑い声が聞こえておりましたが、早く寝た方がいいと、床の中に入ったものの眠られず、色々と昔の事が思い出され泣けて来ました。常に『よきに悟れ』とおっしゃってもなかなか悟る事も出来ません。それでも疲れたのかいつの間にか眠ってしまいました。
 そのうちに表の方で呼ぶ声がしますので目を覚ますと孫が「おばあさん、お父さんが大変だ」と呼んでおります。行ってみると、息子が腹痛らしく七転八倒の苦しみでのたうち回っております。嫁はおどおどして息子をさすっておりましたが、私はこの姿を見るなり、『おじいさんが怒ったな』と思いました。嫁に救急車を呼ばせるとすぐに来て下さり、そのまま入院しました。病名も分からぬまま三ヵ月も入院しておりましたが、それでも命があって帰って来てくれ有り難かったと仏様に感謝しました。入院中、見舞って下さった近所の方々が、息子に色々と大乗教のお話をしてくれましたので、病院から帰った息子は「俺たちが悪かった、御先祖様やおじいさんおばあさんのお蔭様である事を忘れて、俺が俺がの我(が)を張っていた事がよく分かりました。おばあさん許して下さい」と両手をついて謝ってくれました。私は嬉しくて今までの心のしこりが解けてしまい「却って、私の方が我が強かった。因業な私だけど頼むよ」と心から解け合う事が出来ました。息子も嫁も色々と反省し、今では私は、新しい家の日当たりの良い八畳間で住まわさせて頂き楽しく暮らしております。これもおじいさんの思いがそうさせて下さったのだと心から護られているこの身の尊さを仏様や御先祖様や夫に感謝しております。


 このおばあさんは、子供に恵まれない自らの業を悟り堪忍の徳をもって消滅し、子孫に繁栄の徳を残したことになります。
 今では、おばあさんを中心に子供孫たちが大乗教を喜んで信仰していてくれます。

  おのが身を 思うが如く いつわらぬ
      誠を尽くせ 事のよろずに

 信仰とは、我を離れ、他の為に尽くすことです 

合掌

宝塔第268号(平成14年5月1日発行)