「宝塔」第285号
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 欲に迷わず 徳の備えを

一つとして自分のものはない
因縁によって
しばらく、預かっているだけである
それゆえ
一つの物を大切にして
粗末にしてはならない

我が物と思えば
軽し 傘の雪


 「人生は欲と二人連れ」などと開き直る人もありますが、この欲の為に、みんな苦労しています。傘の雪など何にもなりませんが、我が物という所有欲がはたらけば傘の重さも苦にはならないと言うのでしょう。
 しかし、我が物と思ってみても、傘の雪はとけて水になり、地のものになってしまいます。山に雪があるから山の雪かと思っていると、春ともなれば雪はとけて流れて川の水となり、川のものかと思っていると、海へ流れ込んでしまいます。
 「うちの花は見事だ」と、庭に咲いた桜の花を自慢しても、あっと言う間に花は散ってしまいます。お金や、財産などは、私どもが一番執着(しゅうじゃく)しやすいものですが、それもよく考えてみれば、自分が働いて多くの人や物のお蔭で(これを因縁と言います)一時、自分の手元に来ているだけです。
 病気や、失敗や、災難などの縁に会えば、お金も、財産も、どんどん出ていってしまいます。まして自分が死ぬという縁に到れば、一切合切、無に帰してしまうことになります。
 人間は偉そうな顔をしていますが、自分で創造したものは一つも有りません。自分の命や、水や、空気は勿論ですが、建物も、機械も、着物も、道具も、原料はみな自然が与えてくれたもので、人間はその原料をいろいろと加工しているだけです。
 自分で造った物ならば、自分の物と言えますが、そんなものはありません。自然の力、衆生の力、色々な力(縁)のお蔭です。どんなものでも因縁によって集まり、因縁によって散っていきます。それ故、一つの物でも、自分のものと言えるものはないのです。お預かりして、使わさせて頂いているのです。
 多くの人は、これは我が子、これは我が財産と執着していますが、余り頼りすぎて、却って失望したり苦しんだりしています。

 「我に子あり 我に財あり」と
 愚かな者は悩まさる
 我すら我のものならざるを
 いかで子と財のあらめやは  (法句経)

 昔は「我が子は自分のものだから、生かそうと殺そうと勝手」などという観念がありました。今でも生活苦の為に、子を道連れにする一家心中の悲劇が時に起きています。
 子を私有物のように考えるのは誤りです。子は独立の人格をもっています。「天からの授かりもの」と言われるように、大切に育てて社会に送り出さねばならない責任が親にはあるのです。
 自分の命も自分のものであって、自分のものではありません。親から戴(いただ)いた命であり、自然の力、衆生の力、総合的に言えば仏の力によって生かされている命です。それ故、自分の命を清浄に守ると共に、我欲にとらわれて苦悩することのないようにしたいものです。

小乗的な幸福観ではダメ

 多くの母親は「我が子をいい学校に入れて、いい会社に就職させ、いい所から嫁をもらい、将来は出世してもらおう」と欲の深いことを考えています。子もまた自分の幸福だけの生活設計を考えて、人々のことや社会のことに無関心でいますが、そんな小乗的な考え方の人は、三つの大事なことを忘れています。

1. 自分一人で生きていくことはできない。多くの人との関
  係(因縁)の中で自分の生活が成り立つ。
2.世の為、人の為になることをしていってこそ徳が
 身につく。願望が叶わず、失意に泣くのはみな、徳が
 積んでないからである。
3.平穏無事のマイホームを楽しんでも、人生にはいつ
 何が起きるか分からない。失敗、病気、事故、災難等、
 設計書にはない不慮の事が生ずることを忘れてはな
 らない。

 人生の真の幸福の道は、大乗の心にあることを知らねばなりません。

子育ての失敗

 母の深い愛情は、子の健全な成長の為に、欠くことの出来ない大切なものです。けれども、情に溺れて、とかく過保護になりがちな傾向が多いようです。
 「カゼをひくといけないから厚着をしなさい」
 「危ないから外へ出てはいけない」
 「転んで怪我をするから走ってはいけない」
 「手を切ると大変だから、ナイフで鉛筆を削ってはいけない」
 
 「ああしてはいけない、こうしてはいけない」と束縛してしまうと、母親に依存して、子の自主的な精神が育ちません。また、身体の抵抗力も育っていきません。
 抵抗力というのは、心理的にも、生理的にも、生命の自衛力として欠くことの出来ないものです。
 過保護の為に、子の寒さ暑さへの抵抗力が弱くなってカゼをひきやすくなる。また、長時間立っていたり、座っていたり、あるいは歩くという力が弱い子も多いのです。
 この空間には、細菌や病原菌がいっぱいあって、これを避けては通れませんが、これらの病原菌が侵入してきても身体にはそれを殺してしまう抵抗力が備わっているのです。自然治癒力(しぜんちゆりょく)と言います。
 怪我をすると薬をぬりますが、薬は怪我の悪化を防ぐだけのことで、怪我そのものは、内部の生命力が活動して、これを治していきます。
 薬の飲み過ぎは、かえって身体の持っている自然治癒の抵抗力を弱めて不健康になっていきます。
 家庭で甘やかされて、わがままに育った子は、学校に入ると圧迫感を感じ、いじけて小さくなったり、その反動で、家へ帰るとわがままを言い、気難しくなり、いわゆる内弁慶に成り易いのです。
 抵抗力は、精神的にも非常に大切な力です。腹の立つこと、不愉快なこと、辛いこと、苦しいことにぶつかった時、よくそれに耐え抜いて行く堪忍の力、即ち抵抗力が失敗から身を守ります。
 覚醒剤の中毒になったある夫人は、「主人と二人きりのアパート暮らしで、日中一人で留守をしていると、寂しくて、退屈でやり切れないのです。それを紛(まぎ)らわすために、覚醒剤に手を出した」と言うのですが、その口実が、
 「私のような境遇にいたら、誰だってこうなるのが当たり前でしょう。これは不可抗力です」
 これでは、いかにもわがままで、甘ったれた考えかたです。こらえ性のない、抵抗力のない弱さが身を滅ぼすことになってしまいます。 悪に負けない力を持っていないと、何時不幸の穴に落ちるかも知れません。
 病原菌に負けない力、誘惑に負けない力、失意や絶望に負けない力、そして人生を健全に明るくしていく力。そういう貴重な徳の力は、仏の正法である妙法の信仰によっていくらでも得ることが出来ます。
 正しい信仰によって、父も母も子も共々に喜び合う「明るい家庭」をつくっていただきたいと思います。

                                                                合掌

宝塔第285号(平成15年10月1日発行)