「宝塔」第300号
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何気なく使う言葉のひとことを
 
人の喜びとなるようにと心掛けよう

 「あなたは、どうしてこんな問題が出来ないの、馬鹿だなー、あなたの兄さんは一番で通して来たのよ。妹も学校の成績が三番と下がらぬのに、あなただけが、どうしてこんなに出来ないのかしら、情けないと思わないの。兄弟であなたが一番馬鹿なんだから。どうしてこんな子が生まれたのかしら不思議だわ、もっと真剣に勉強しなさい。テレビや漫画の本ばかり見ていて、恥ずかしいと思わないの、本当に情けないわ」
 
と何時もガミガミ言う母親がいますが、それは子供を発奮させる為に言っているのでしょうが、はたしてそれは良い方法なのでしょうか。
 
 
仏様の説話の中に、こんなお話があります。
 
 
昔インドでは牛の角と角を突き合わせる闘牛が盛んでした。そして長者や貴族たちは、それぞれ強い牛を飼育して、闘わせ、大金を儲(か)けては一喜一憂して楽しんでいました。
 
ある時、長者の牛と貴族の牛が大金を賭けて勝負する事になりました。試合前に長者が貴族の牛を見て、あまりの立派さに、自分の牛を見て、
 
「うちの牛はちょっとおかしい、角や顔や首や尻を見ていると肌に艶(つや)がない。今日は力が出そうにないなぁー、負けるかなぁー」とつぶやきました。
 
それを聞いた牛は、自分でも、
 
「そうかなぁー」と思って、
 
「ご主人がああ言うのだから、もしかして、おれは負けるかもしれない」と思いました。
 
さて試合が始まってみると、やはり長者の牛は、さんざんに突き負かされてしまいました。
 
長者は無念そうに大金を貴族に渡しました。長者はその夜、牛舎へ行って、
 
「お前が頼り無いから、今日は負けて大金を取られてしまったじゃないか。情けないやつだなぁー」と牛にぼやきました。
 
すると牛が口をきいて、「とんでもない、試合前にご主人が、おれの悪口を言ったので、力が抜けてしまったんだよ。何ならもう一度やらせて下さい。そのかわり試合の前に、うんとおれを元気づけて下さい」と言うのです。
 
そこで長者は、もう一度貴族に、
 
「こんどはこの前の大金の三倍だすからどうだ」と申し入れました。
 
貴族は前回勝って味をしめているので、喜んで申し入れに応じました。
 
いよいよ闘いの当日になったので、その朝、長者は牛に向かって、たいへん力強くて素晴らしいと褒(ほ)めちぎりました。
 
牛がその気になったところで、試合が始まりました。なるほど、牛の言った通り、長者の牛は圧倒的な強さで勝ったのです。
 
長者は見事に三倍の大金を手に入れる事が出来て大喜びでした。
 
 
家畜の心でさえ、この通りです。飼い主の一言で、弱くもなり強くもなってくれるのです。ましてや、感受性の強い人間の子供には何気なく言う言葉や励みをつける言葉にも気を付けねばならないことであります。

 相手を喜ばせる言葉や相手に信念を持たせる言葉がその人を救う基ともなる

 ある学校に勤めている時でした。A君と言う少年は、立派な家庭の子供でしたが、兄や姉は学校の成績が一番よく出来たのに、A君だけは成績が悪く少しも勉強をする気がなく遊んでばかりいて、兄や姉にうとまれていました。そんな兄や姉に対して言ったことは、
 
「A君のことを馬鹿だ、たわけだと決して言ってはなりません。学校の成績が悪いからと言って罵(ののし)ったり、こんなやさしい算数が出来んのか、馬鹿だなぁとさげすんでもいけません。彼だっていい所があるのだから、褒めてやることが大事なんですよ。馬鹿にすると、どうせぼくは馬鹿なんだからと思って、意欲が無くなりますからね」
 
と注意をしておきました。

 相手のよい所を見て逃さず褒める事が救いの基となる

 ある日、体操の時間でした。鉄棒のけあがりを教えてみんなにやらせました。A君の番になりまして、けあがりを難無くやりましたので、この時とみて、
 
「みんな集まれ、A君がけあがりを上手にやったから、A君に手本をやってもらいますから、よく要領を覚えるように」と申しました。
 
「A君、君はみんなより上手に出来たから、もう一度、けあがりの手本を見せてやって下さい」と言ってやりますと「ぼくは上手にやれるんだ」と言う思いのせいか、前よりも上手にやって見せました。そして、たいへん満足そうな顔でした。
 
その事があってから、彼は休み時間には必ず運動場の片隅の鉄棒の所へ行って一生懸命に練習していました。それにつれて、体操はどんなものでも上手にこなすようになって来ました。
 
ある日、彼は体操の先生になりたいと言って来ました。その時に、
 
「そうだね。君なら出来るでしょう。その為の学校に入って立派な先生になることが出来るでしょう、でも、A君、よく考えて見なさい。体操が上手だからと言って、ただそれだけで先生になることは出来ないよ、他の学科の勉強もしなくてはね。君はその気になって行えば出来るのだから、努力する事が必要なんだよ。君が体操が上手になれたのも、君が休み時間にも遊ばずに練習した努力の結果だよ。今からでも遅くないから他の学科も勉強しなさい。学校に進学するには学科の試験もあるのだからね、頑張りなさい、分からない事があったらどしどし質問しなさい、一緒に勉強しましょう」
 
と言ってやりました。
 
それからA君は見違えるような少年となり、今までの憂鬱(ゆううつ)そうな顔はどこかへ消え、明るくなって勉強への意欲が出て来て、成績もぐんぐん上がって来ました。
 
そして中学校に進んで行ったのです。その後、A君と会うこともなく別れ別れになっていましたが、ある年、同窓会の席で再び会うことが出来ました。彼は立派な高校の先生になっておりました。久しぶりの再会に手を取り合って喜びました。
 
彼が「ぼくが今日ある事は、あの体操の時間の一言によって救われたおかげです。決して今でもあの言葉は忘れません」と言って涙を流して喜んでくれた事が今でも頭によみがえって来ます。
 
人を喜ばせる言葉や褒める言葉が、相手の心を救い、善(ぜん)へ向かう心を起こさせます。その人に与えた喜びが、自らの徳につながり、自分の将来をうるおすことになるのです。目先の損得にとらわれず、他人を思いやる心をもって、それを言葉に表現して生きていけるのが人間です。
 
また、人の言葉は自分の受け取り方によって、善にも悪にもなる物です

世の中は心一(ひと)つのおきどころ楽も苦となり苦も楽となる

 と詠われていますように「心一つのおきどころ」によって幸・不幸が決定されて行くのです。みんな仏性(ぶっしょう)を持っています。この仏性を磨かさせていただき、自分のなす事が一人でも多くの人々の喜びにつながって行くようにと願って仏法の道にいそしみたいと心から願ってやまないものであります。

合掌

宝塔第300号(平成17年1月1日発行)