「宝塔」第303号
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 心を開きすべてを善意に受け取れば

 ある方が、旅行をする前に乗り物が事故に遭った夢を見て不安になり、あげくの果てに取り止めてしまいました。旅行に行った方に後日会い、「今度の旅は食べる物は美味しく楽しかった」と聞いて、悔やんでも悔やんでも後の祭で、損をした損をしたと嘆いていました。
 また、結婚してみたら、優しい人であると思ったのが酒呑(の)みで無口なため、毎日がうっとうしいが、子供が生まれたので、いやいや生活していましたが、隣のご主人が明るいので、よけいに厭(いや)になり別れようと一生迷って生きてきた人もあります。
 自分で努力もせず相手に頼っていると、少しも喜びは生まれません。
 ある老夫婦が年金生活で、ほそぼそと暮らしていましたが、近所の人が皆、幸福に楽しく暮らしているのを見てひがむ様になり、だんだんと付き合いは無くなり孤独な毎日で常に人に馬鹿にされている様に思って腹を立てていました。最近になって、向かいの家の息子さんが、オートバイに乗り家の前でエンジンをかけ、ブウブウと音をたてるのがうるさくて、玄関を開けては「やかましい」と睨(にら)みつける日が続いたのです。右隣の家では息子さんの結婚が決まり、二階の増築が始まり、毎日大工さんが来てトントンパンパンと釘を打つ音がして、やかましくてどうにもならず、又隣へ怒鳴り込み、とうとう大工さんも中止してしまい、隣の人も困っておられました。又この町内で病院へ入院される方があり、お見舞金を近所の人が集めて持っていかれたのですが、この老夫婦の所へは年金暮らしをされているからと、話をされなかったのでした。後でこの話を聞き、おばあさんは、私でもお見舞い金ぐらい出せます、と集められた方に怒鳴っていきました。この様な具合ですから、近所の方も自然と付き合わなくなり、前より一層ひがむ様になりました。
 おじいさんが病気をした事から、信仰というものに初めて縁があり、お参りをする事になりました。困った時の神頼みで色々と近所の事なども話をされ仏様のお話を聞く心が出来ました。そして、話をさせて頂きました。
 「仏様の教えの中に、『唯、仏様を拝んだりお願いをする事が信仰ではなく、自分の心の中に仏も神もあり、自分がそれに近づく事が一番大切です』、『常に衆生の恩に報いる心を持つ事』とも教えています。
 縁があって近くの人と顔を合わせ言葉もかけるのですから、明るく親しく付き合う事です。
 年金生活だそうですが、そのお金も多くの人々が働いて納めたお金の一部が貴方にも廻って来るのですから感謝をして暮らさなければいけません。向かいの息子さんがオートバイに乗って勤めておればこれにも税金が掛かり、隣の家に来る大工さんも一生懸命に働いて税金を納めてみえるのですから、これをしっかり知って感謝する事も大切な信仰であり、仏様も喜んで下さるのです」。
 教えを聞かれたおばあさんは、オートバイをブウブウ鳴らすのにも税金がかかり、やがては私たちの所へも廻って来る、隣へ大工さんが来てトントンやるにもやがて税金を納める事になり、自分たちの所へも廻って来ると考え、早速、隣の家へ行き私は前に何にも知らずやかましいと怒鳴ったりしましたが、どうか大工さんに来て貰って仕事をして下さい、と声をかけ、向かいの家にはエンジンの音がすると玄関を開けて、気をつけて出掛けなさいね、と一変しましたので、近所の人もびっくりしてみえる様です。それが毎日続くと自然に付き合いも出来る様になり、おじいさんの体の事もご近所の方から心配して頂く様になりました。おばあさんも明るくなり、今では毎日を喜びと感謝で暮らしてみえます。自分の心を開いて、ひがみ・ねたみを捨て去るとこんなにも明るい生き方が出来るのです。
 ある時、おばあさんがお参りにみえて、
 「昨日隣の奥さんが来られまして、『おばあさん、大変迷惑をかけましたが二階もきれいに出来ました。これでお嫁さんを迎える事が出来ます。心ばかりの物でお口に合うかどうか分かりませんが』と赤飯と煮物を頂きました。おじいさんとどんなお嫁さんが来るのかと楽しんで御馳走(ごちそう)になりました。本当に隣の人は良い人でした。今までの私たちが恥ずかしいです。向かいの息子さんも、毎朝出掛ける時に気をつけていってらっしゃい、と拝んでいたら、先日も旅行をしたからとお土産をいただきました。
 私の心がひねくれていますと人の幸福がねたましく腹が立ったりしていましたが、今では毎日が感謝で一杯です信仰とは、自分をも拝み人をも拝む事ですね」
 とお話をいただきました。
 人は一人で生きる事は出来ません。一人の人の明るさが周囲の人を明るくし、一人の人が暗ければ周囲も暗くなります。これも信仰であり仏様の教えです。
 小学校の先生が、今どこにでもあるいじめっ子といじめられっ子の事で悩み、先日も一人の生徒を四人の生徒がいじめたという事で、いじめられた生徒の親が学校へ苦情を申し入れに来られたのです。調べてみると四人の生徒がいじめていた事が分かり、その生徒達に注意をしました。翌日、二人の生徒の親が家で聞いたら、「僕たちは見ていただけでいじめていないのに、先生に叱られた」という事だったので、親たちは学校へ来て、「先生はもっとよく調べて下さい」と反対に怒られてしまったという事でした。
 生徒に勉強を教える事も世話する事も大変な事です。この話の中で大切なことは、親と子、大人と子供、生徒と生徒の中に、お互いに心の中に通わないものがあるからで、先生は生徒に教える立場にある事を、いつも心に持っていなければならないのに、生徒たちと隔(へだ)たりがあるから、親にでも嘘を言い、先生にも嘘を言う様になり陰で悪口を言う様になります。言い換えれば、本当の事を言うと又言っても怒られるという思いが強く、本当の事が言えない精神状態にある事を知ってあげる事です。
 前にも、この様な問題に遭った先生の事ですが、その時の生徒には親も困り先生に相談がありました。先生は、
 「お母さんも今、子供を信頼する事が出来ないでしょうが、もっと信じてあげることです。今は少しくらい悪い所があっても、社会に出てどんな立派な人になるか分かりませんから、今の姿だけで子供を計ることはいけない事です」
 と色々な話をしていたのですが、先生自身がこの言葉に心を動かされ、「今よりもっともっと先のある生徒に、良いの悪いのと区別する私が間違っている」と思い、その生徒を信じて行く中に、いつの間にかその子供は努力をし大学を卒業する事になったのです。その子がいつも「ぼくは中学の時の先生のお蔭で今日がある」と言い、時々先生の家にも来る様になりました。
 先生も親も子供をもっと信じて話し合う事が大事です。子供だ子供だと思っていたのがいつの間にか自分以上に物事を考え悩み苦しんでいる我が子に出会う事はよくあることです。
 子供がいじめられたり、いじめたりで悩む親が世の中たくさんいますが、悩む親自身が自分の身近な人をいじめている場合が多いのです。例えば、親兄弟と疎遠(そえん)であったり、親戚付き合いを断っていたりなど、子供の事で悩む原因は、悩む本人にあるのです、それを子供は自分の身を犠牲にして、あなたにメッセージを送っているのです。心を開き全ての縁を我が為と感謝して受け取って、自らの至らなさを反省し懺悔をして生まれ変わった自らの道を精進していきたいものです。     

合掌

宝塔第303号(平成17年4月1日発行)