「宝塔」第304号
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 人との出会い

 人が生きて行く為には、さまざまな人との出会いがあり、その出会いによって生きて行くのです。
 男と女があり、親と子があり、少年時代からの長い友人があり、嫁と姑があり、職場にも仕事との出会いがある。これを避けて生きる事は出来ません。こうした網の目の中の一目の様にさまざまな出会いの中に、喜びを知る人もあれば、この出会いの中より一生を苦しみと不幸とで嘆いている人もあります。
 只一度だけの出会いで二度と会わない事もあれば、一生を決める出会いもあります。結婚は特に一生を共にする訳ですから大切です。
 時の中の出会い、交通事故等は一秒の何分の一かで人の生命をも左右する事にもなります。
 人との出会い、時との出会い、出来事との出会い、こうした全ての事を、仏教では縁と言います。良縁を結ぶのも悪縁を結ぶのも、その人の心の持ち方から生まれると教えられます。
 一人の娘さんが青年と知り合い、その交際も長く続かず、やがて、失恋をして自殺をした。長い一生にはいろいろな人との出会いがあるのに、これしか無いと思ったのが自殺の道を選ばせたのです。
 又、ある娘さんですが、同じ様に失恋をして自殺を考えたそうですが、親に止められました。そして、親は、
 「今日まで、あなたを育てて来たのですから一年や二年は頑張って働いて親孝行の一つでもしてから死んでも遅くはない」
 と諭(さと)された。なかなか気丈な親である。そしてこの娘は勤めに出ました。そこに一人の青年が淋しそうに働いていたので、友達に聞いて見るとやはり好きな人があって、その人は他に嫁入りをしたとの事でした。たまたま休憩の時に話し合う機会があり、共に同情し合う様になり、やがて二人を結ぶ縁となり結婚して今では二人の子供に恵まれて幸福な家庭を築きました。
 もし失恋がなかったら、この出会いは無かったかも知れません。
 学生時代に知り合った二人が、互いに社会に出て働くようになり結婚することになりました。両親にも賛成をしていただき盛大な結婚式を挙げましたが、二年程してお互いにいがみ合う様になり、一人男の子がありましたが趣味も性格も合わないからと離婚をし、奥さんが子供を引き取り育てていました。何年も経つうちに子供が母親の思う様にならず、今まで何の為に生きて来たのか分からないと毎日悩んでいる方もあります。
 母親と二十五歳になる息子の二人暮らしの家庭がありました。息子に結婚の話があり見合いをして結婚しました。このお嫁さんは、結婚する迄、家事一切の事をした事がありませんでしたので、戸惑った生活をしていました。姑さんは、
 「今時どこの嫁さんも同じ事ですよ。私は年を多くとっているだけに、ある程度の事は知っていますから、長い月日をかけて覚えたらいい」
 と、炊事から家事一切を、この様にしなさい、これを見なさいと教えてあげました。そして、いつも優しく笑いながら、
 「私も若い時はあなたと同じでしたよ、三十年もやれば少しは出来るようになれます、私もよく姑さんに叱られたもんですよ」
 と言っていました。
 この様な生活の中で子供が生まれました。子供の世話も病気になった時も、姑さんと嫁さんと二人で看護をし、今ではこの嫁さんは、よいお母さんと出会ったと喜んで見えます。このお母さんも、可愛らしい嫁だとよく話して見えます。
 お姑さんが若い頃、間に合わない為に、姑さんに叱られた事が辛かったので息子に嫁が来たら、若い時の事を思い出して優しく労ってあげる事が大切だと思ったそうです。うるさい姑さんとの出会いが、今の楽しい家庭を作る事になったのです。
 大学受験に失敗をして、高校卒では良い所への就職も出来ないと悩みながらも遊んでいる事も出来ず、ある食品会社に勤める事になりましたが、志とは違い希望を持てない生活をしていました。母親が、私のお参りをしている所へ一度行ってみよう、と連れて行かれて始めて信仰と言う世界を知る事が出来たのです。今までは信仰とは、神や仏に自分の願いをする所だと思って、無視しておりましたが、その時に教えられた事は、人との出会いは縁と言い、どんな悪い縁であっても自分の思うようにしなければ縁が変わるが、自分の思うようにしようと思えば益々悪くなる。辛い事でも、それが自分に与えられた大切な事であると思い、常に相手の立場・気持ちになって、努力をすれば必ず良縁に変わって行きます。
 そして、ある娘さんの事を話しました。
 父親が酒飲みで飲めば悪酔いして、子供たちを殴る事も多かったのですが、いつもお母さんが、
 「お父さんは会社で難しい仕事をしているから、お酒でも飲まないと気が晴れないんですよ、本当は良いお父さんですからね。
 明日は一生懸命に働かれます。私たちはお父さんのお蔭でこうして生きて行けるのですから、お父さんを大切にしてあげなさい。少しくらい厭(いや)な事があっても辛抱しなさい、辛抱の出来ない人は幸せになれませんよ。世の中にはもっともっと苦しい時も悲しい時もありますから」
 と言うのがお母さんの口癖でした。やがて年頃になり結婚をする事になりました。家を出る時、お母さんが、
 「縁があって嫁ぐのです、自分が来た事により少しでも主人や先方の方が喜んで頂ける事を考え、自分の事は後回しにして相手の人の心に合わせて行く努力をしなさい。自分で自分の幸福や思いが叶う様に求めても得られるものではなく、相手の幸福を考えて行く人が本当の幸福を知る事が出来るのです。しっかりと生きて行きなさい」
 と、嫁入り前の言葉を贈りました。
 単なるお見合いで結婚しましたが、優しい人達に恵まれて幸福な日々を送っています。良縁は求めて得られるものではなく、人との出会いの中から、良い縁を作り上げていく事で、相手の人に信じられる人になる事です。
 この様な例をお話し、この青年に言いました事は、今、貴方は職場の中に不満や不足があるかも知れませんが、これは貴方に与えられた使命であり、仏様の命令であると思いなさい。大学を出て思うように就職をしても、それが貴方を幸福にしてくれるかどうか分かりません。今の内に仕事の出会い、人との出会いを大切にして行くことです。一つの事が出来ない人は、どこへ行っても思うようになりません。この出会い、縁を大切にして行けば必ず相手からも信じられて、その中に人生の生き甲斐が生まれてくるのです。
 結婚をしても、「相手の親が大切に育てた娘さんだから、ぼくの働きで少しでも幸せにしてあげたい」との思いで暮らして行けば幸福になれます。
 信仰とは神様や仏様にお願いをする事ではありません。縁のある人との出会いを大切に考える人になって行くことです。
 人は自分の思いが叶う事が幸福だと思い、常に相手に求めて行くから、お互いに求め合って、そこに食い違いが生まれ、不足や不満となって争うことになり、自らを不幸と嘆くことになるのです。
 こうした話の中から、この青年は人生に対する考え方を変え、それからは会社の事を中心にして、上役の人とも心から接して行く事が出来る様になりました。
 人に勧められてお見合いをし、お付き合いをして行く中に、相手の方も同じ様に、自分の思いとは別の世界で働くことになったとの事。こんな事からお互いに好意を持ち結婚をされました。この方は、会社では無くてはならない人になり、役職にも付き、一人の子供さんにも恵まれて、楽しい家庭を持ってみえます。奥さんもとても優しく幸福ですとのこと。もし大学へ行ってみえたら、現在の奥さんとは巡り会わなかったかも知れません。
 信仰とは、人との出会い、出来事との出会いの縁を嫌わず大切にしていくことです。それが悪い縁でも良い縁に変えて行く基になるのです。

合掌

宝塔第304号(平成17年5月1日発行)