「宝塔」第307号
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 苦を見て知る喜び

 この世に苦しみが無ければ真に幸いなのですが、不幸にもそれは夢の様な話であり、苦の娑婆(しゃば)と呼ばれる通りどんな時でも、どんな場所でも、誰にでも無差別に苦しみが訪れるのです。
 それは外部からのどんな力を持ってしても変えることの出来ない、おそらく永遠不変の事実でしょう。
 そして、我々人間は誰一人として、そんな苦しみの世界から逃げ出す事は許されておらず、一生涯苦しみを背負って生きて行かねばならないのです。
 但し、苦しみを取り除く方法が、全く考えられない訳ではありません。どんなに難しい問題でも必ず一つくらいは解決方法があるのです。
 そして、この場合は苦しみを喜びに変化させることであり、我々には、その力が備わっているのです。
 それでは、その力とは一体何であるかと疑問を持たれるでしょうが、それは比較するという力です。
 比較は、普段誰もが無意識のうちに行っている事であり、この世に存在する人間であれば一人として、欠かすことのない能力なので、この力を正しく使いさえすれば間違いなく苦しみは消えて無くなるのです。
 そして、この比較する力によって喜びを得る事こそ、我々に与えられた唯一の幸せに繋(つな)がる道だと言えるでしょう。
 しかし、大概の人は、この力を正しく使っていないようです。
 それは、充分喜べる状態にありながら、自分よりもっと幸せで恵まれた人がこの世の中には沢山いると思い、上の上ばかり見て不満を言い続ける人であります。
 こんな人は、いくら幸せであっても本当に満足出来ることが起きても、感謝の気持ちがないのですから、それを幸せだとは受け止めないでしょう。一つ上に近づけば又一つ上を見て不足に思い、もう一つ上に近づけば更に上を見て不満を言うのです。
 これでは何処まで行っても、堂々巡りで満足などという状態は絶対に有りえません。
 それに、不足ばかりを漏らす人には幸福の方から寄り付かず逃げて行ってしまうものなのです。ですから、自分自身に与えられた天分を知り、現在の状態で満足するように努力して、新たな喜びを招き入れることが大切なのです。
 その為には、二つの事を実行しなければいけません。まず一つ目は、上を見れば際限がなく、下を見ても際限がない事を知り、上を見るという事自体を欲から発生するものであって、欲さえ抑えれば目も自然に下へ向かっていく事を悟ることです。

 上見れば あれやこれやの ほしだらけ
            下見て暮らせ ほしはないはず

 これは、星と欲しいという感情をかけているわけですが、下を向いて生活が出来れば毎日が本当に満足と喜びの連続だと思います。
 先日も、あるお年寄り(女性)にお会いしたのですがその人は何時も「私は幸せで本当に有り難いです」と喜んでおられるので、初めは本当に何も言う事がなくて毎日幸福な生活を送ってみえるのだと私は思っていました。
 ところが、ある時、別のお年寄りと話をしていたら、その人の事が話題に登りました。色々と聞いているうちに、実際の生活は決して幸せと呼べる様な状態でない事を知らされました。
 ご主人は、かなり前に亡くなられ、子供さんも二人みえるそうですが、自分勝手に家を出て結婚され、子供が産まれてからも実家には寄り付かず、孫の顔さえ満足に見る事が出来ないのです。それでいて何か都合の悪い事が起こると訪ねて来ては世話になるのです。
 収入も少なくお年寄りの一人暮らしなので、近所の人達も心配しているという事でした。
 こんな生活が本当に幸せと呼べるでしょうか。
 しかし、この人は「私は幸せ者だ」と何時でも誰にでも話してみえるのです。
 世間には、もっと恵まれた環境で生活している人が、大勢みえるのに愚痴一つ言わず喜んで生活しているのです。むしろ、幸せな人に限ってあれが足りないだの、これが欲しいだの、あの人が嫌いだの、自分がこれだけしているのだから、相手もこの位はしたって良さそうなものだと、次から次へと不足を言って歩いているのかもしれません。
 欲を出せばきりがないのですから、それしか与えられない自分の徳のなさに一日も早く気がついて、与えられた範囲内で満足し喜ぶ事を覚える様に、努力しなければならないのです。

 善因より善果を生ずることを知り
 悪因より悪果を生ずることを知りて
 悪因を遠離(おんり)せよ

 お経に書かれている通り、満足する心が満足を生み、不足を思う心が不足を生むのでありますから、自分の視点を上から下へ移して、喜びを見い出すように心掛けて頂きたいのです。
 

 二つ目は、上ばかり見ている人の仲間に入らない事です。『朱に交われば赤くなる』ではないですが、そうした人の中に自分を置くと必ず感化されて上を見る様になってしまうのです。
 法句経(ほっくきょう)に次の様な出来事が記されています。
 お釈迦様とアーナンダの二人が遊行(ゆぎょう)している途中に、魚屋の前を通りかかると一本の縄が落ちていました。それを見るなりお釈迦様はアーナンダに対して、
 「あそこに落ちている一本の縄を拾って、少しの間、持っていなさい」と告げました。
 それで、アーナンダは言われた通りに縄を持ったまま歩き出したのです。
 しばらくすると再びお釈迦様はアーナンダに声をかけました。
 「手に持っている縄を捨てて、その手の臭いを嗅いでみなさい」
 すると、アーナンダは手の臭いを嗅ぎながら、
 「生臭い臭いがします」と答えました。
 すかさずお釈迦様は、
 「その通りである。魚のくさい臭いが縛ってあった縄に移り、その縄の臭いが今度は手に付いてしまったから、お前の手が生臭いのである。そして、人間も同様に交際している人から多大な影響を受けると考えてよい。したがって、善人と交われば善人に近づき悪人と交われば悪人に近づくのである。それをよく考えて付き合う相手を選ばなければならないのだ」
 このように、お釈迦様はどうせなら善人に感化されるよう交わる相手を選びなさいと説いておられ、いくら自分が下を見ようと努力していても、ふだん話をする人が上ばかりを見て愚痴や不足ばかりを言っているならば、自然に自分までも愚痴や不足を言うようになってしまうと教えているのです。
 常に下を向いて生活をし、上を見ている人達と交わらないと言う二点を守りさえすれば、必ず幸福になれるのです。
 世の中には、大きな苦しみを抱えた人が非常に多くみえますが、その人達の事を考えたら欲から起こる苦しみなど取るに足りないものと言えるでしょう。
 他人の苦しみを見て、自分の恵まれた生活に感謝する事も大切であり忘れずに心がけて頂きたいのです。

合掌

宝塔第307号(平成17年8月1日発行)