「宝塔」第309号
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 本当の幸福は外から来ない
 自分の内にある

 「人生は出会いである」と言います。この出会いの因縁が良いと幸せですが、因縁の悪い時は苦しみに悩まされます。親子、夫婦、仕事仲間などは最も身近な出会いですが、この間柄が一度こじれると身近なほど悩みは深いものです。
 中学生から高校生の年代になると、子供が言うことをきかなくなります。更には反抗するようにもなります。登校拒否とか、家庭内暴力、あるいは非行に走る者もいます。この場合、親は「何故こんな子になったのか」と我が子ながら恨めしく思えてきます。悪霊がこの子にとりついたのかと妄想まで起こします。
 それは多くの親が「これは子供の問題だ」と考えているからです。そうではなくて実は「これは親子の問題」なのであります。「親子の問題」ということは、親自身が大きな関連をもっているからです。
 それは「親として子供に対して愛情が欠けていなかったかどうか」ということです。子供の良き相談相手となってきたか。子供を理解する努力を怠らなかったか。
 何不自由のないよう勉強のお金も、小遣い銭も与えてきたから、子育ての責任は果していると考えたならば、それは浅薄(せんぱく)な考えです。大切な子供の精神形成に怠慢(たいまん)ではなかったでしょうか。心の通い合いがなされていなかったのではないでしょうか。
 もう一つ反省すべきことは、自分が親に対してどんな態度をとってきたかということです。親を悩ませたり、苦しめたことはなかったか。或いは心の中で親をバカにしたり、恨んだりするような思いをもたなかったか。子を責める前に親の自己反省が必要です。
 「親は針のごとく 子は糸のごとし」とは古来からの格言です。
 苦しい目に会うと、とかく相手を恨んだり、責めたりしがちです。そして相手の態度や所行を改めさせようとしますが、それでは却ってこじれるだけです。自分の過ちや罪障が我が子の上に現れていることを覚って、謙虚に懺悔(さんげ)していくことが解決の道です。
 「子は親の心の鏡」と申します。鏡に映る映像を鏡が変えることは出来ません。

 人生の幸不幸を決めるものに夫婦生活があります。恋愛は衝動的な愛情だけで成立しますが、夫婦は共同生活を通じて愛情を育て上げていくものです。互いに欠点のある者同士が連れ添うのですから、この共同生活には愛情を育てようという心、互いに理解し合う心、互いに許し合う心が必要です。
 相手の欠点を責めて、自分の型にはめようとすれば、共同生活は壊れてしまいます。夫に無いものを妻が持ち妻に無いものを夫が持ち、互いに補い合い助け合っていく。これは「相手を生かして自分も生かされる」という人間関係の原点を実践していくものです。
 もう一つ大切なことは、互いに夫婦になるという因縁を大事にすることです。見ず知らずの他人が偶然一緒になったように見えますが、実は過去の世において愛し合ってきたという因縁があって今世で夫婦になったのであり、この因縁はまた未来世にもつながるものですから、「もともと他人」などという浅はかな考えは誤りです。相手の欠点ばかり目についたり、倦厭(けんえん)の心が起きる時は自分の罪障が現れたことを覚って、罪障消滅の努力をしなければなりません。
 ある中年の男性が相談に来て「妻がわがままで、私を粗末にして困っている。一つお説教をしてくれ」と言うのです。知人から妻が大乗のお話を聞くようになってから非常に素直になったということを聞かされて相談にみえたのです。私は、
 「それはお引き受けしますが、その前に先ずあなたに反省して頂かなければなりません。これまでにあなたは奥さんに辛い思い苦しい思いをかけたことがありますね。そのことを懺悔して下さい。そうでないと私がいくら奥さんに説教しても効果はありません」
 よく”七年目の浮気”などと言いますが、このご主人もかっては芸者と親しくなって奥さんを泣かせたことがあったのです。奥さんは淡白で大雑把な性格なので、主人の面倒見が悪く、家付きの娘ですから高慢なところもあったようです。
 主人は商売のため、しばしば出張の旅に出ます。不自由な旅先で一生懸命働いて、やれやれという思いで我が家に帰ってきます。その時優しい笑顔で奥さんが迎えてくれると商売の疲れも忘れますが、この奥さんにはそういう気遣いがありません。隣から帰って来たくらいに知らん顔をしているのです。
 妻子のためにと汗水流して働いてきたのに「ご苦労さま」の一言もないような妻の態度を見せつけられると、「おれは一体何のために働いているのだろう」と、心に空洞の出来たような味気ない思いに捕らわれます。
 そういう不満が積もり積もって、どこかに捌(は)け口を求めることになります。たまたま同業者の宴会で知り合った芸者と仲良くなり、何度か会ううちに愛情を持つようになりました。気立てのいい女で、かゆい所に手の届くような、細やかな心遣いに、妻には求めても得られない女の優しさを味わうことが出来ました。そして、だんだん家をあけることが多くなりました。
 こうなると奥さんも黙っていません。夫婦喧嘩のすえこの人は女と一緒に駆け落ちをしました。放っておけば家は倒産、共倒れですから、親戚が仲に入って話をつけ結局、女と別れて家に戻りました。再び家業に精を出しました。奥さんも少しは優しくなったようですが、そのうちにだんだん冷淡になって、近頃は何かというと逆らってきて、どうも面白くないと言うのです。
 「なる程、お話を聞きますと、奥さんにも欠点がありますね。しかし、あなたが浮気をして奥さんを苦しめた罪は大きいですよ」
 「おれが浮気をしたのは悪いかもしれんが、女房子供を路頭に迷わせるようなことはしていない。ちゃんと生活の面倒はみてきた」
 「食うに困らぬようにしておけば良いというものではありません。
 夫婦の間で一番大切なのは愛情と信頼を共にすることです。それを破壊された奥さんの精神的苦痛はお金や物で償えるものではありませんよ」
 夫婦に大切なものは心の通い合いです。互いに助け合って苦楽を共にしてくれることへの感謝の心です。自分の欠点を反省し、相手の欠点をゆるすことです。
 このご主人も仏さまのお話を聞かれて、はじめて自分の非を覚り懺悔して下さいました。そのお蔭で奥さんにも御法の話を聞いて頂けるようになりました。
 「自分は善人だ、相手が悪いのだ」という増上慢(ぞうじょうまん)の心があるうちは、平和な喜びの生活は得られません。
 私共の迷いは、自分のことは棚に上げて、相手を改めさせようとすることです。「相手の姿は自分の心の鏡」です。見ること聞くことは、すべて自分の業因の現れです。
 この世の中には思うようにならないことがいっぱいあります。昔から「四苦八苦の世の中」と言います。財を求めても得られない。愛を求めても得られない。それどころか、求めもしない病気や災難が訪れてくる。相手を変えても、仕事を変えても、環境を変えても、苦は無くなりません。何故かと言えば、苦は一見外から来るように見えますが、実は自分の内部から起きてきているのです。「深く諸の邪見に入って、苦を以て苦を捨てんと欲す」(法華経)とあります。お金に困って苦しいとき、サラ金で借りて「ああお金が出来た」と喜んでみても、すでに借金の苦が代わりに起きてきています。人生の苦はそんな一時凌(しの)ぎで解決するものではありません。苦の本質を知って、根本から苦を解決する道を知ることが必要です。仏はその解答を与えてくれます。

合掌

宝塔第309号(平成17年10月1日発行)