「宝塔」第313号
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 感謝の出来る人生を見つけよ

 既に使い捨ての時代は終わりました。『もったいない』と言う言葉が見直されるようになりました。
 しかし現実は、物を求めるとき、多くがローンを利用して事足りています。家も着る物も、家具、食品、車など高い利子を払わされて借金の生活を送っています。
 日々の暮らしにも心にゆとりがなく、ある家庭では晩に飲むビール一本にも気を遣い、やがてローンが終わる頃には年老いて、我が家と思った家も古びて改築をしなければ住めなくなり、子供のためにと一生懸命になって大学まではと育てるのだが、卒業、就職、結婚となると子供は子供で、自分たちの生活のことで精一杯で、親のことを考えなければいけないと思いながら、どうしようもなくなるのです。生きて行くのは大変なことですが、一生を振り返ってみると、何の為に生まれて生きて来たのか分からなくなります。
 たとえ毎日が忙しくても、自分自身を振り返ってみることが大切です。心を内に向けて、一生というものを考えてみることです。そのためには落ち着いた心をもって世の中の流れを知ることも大事です。この殺伐とした世の中で少しでも心を豊かにして、家庭の中に暖かい空気をみなぎらせれば、どんなに世の中が明るくなるかわかりません。今までは、苦しいことがあると救いを信仰に求め、信心することで救われると思い、その教えを聞くことになりますが、現在の宗教は、何か大切なことを忘れているように思われます。ただお参りをしたり布教をすることのみが徳を積むことで、それが救われる道のように説いていますが、心の教えとはそんなものでしょうか。
 先日、一人の方が見えて、
 
 「私は一生懸命に信仰をしているのに、主人は少しも信仰心がなく、私がお参りに出掛けると、後で必ず口争いになるのです。私が家のこと主人の健康のこと、子供が無事に成長していくようにとお願いをしていることを主人は分かってくれないのです。半月程前、とうとう主人は怒って家に帰って来なくなりました。家には大学と高校へ通っている二人の子供がありますので、主人が帰って来てくれないと困ります。会社に電話をしますと、毎日出勤しているのですが、どこから通っているのか主人は話してくれません。主人は帰ってくれるでしょうか」
 とお尋ねになりました。この方の心の中は、私は家の為に信仰しているのに、なぜこんなことになったのか理解出来ないという気持ちで、何も私が悪いことをした訳ではないと思っておられるのです。
 
 「仏様は私たちに何を教えておられるか考えなさい。仏様とはなんですか、仏様はどんなことを説いておられるかを知ることです。
 仏教の中心は慈悲の教えです。慈心とは、いつくしみの心―――周囲の人といつもこの心で接し、悲心とは共に悲しみ苦しみをわかちあうこと、これは共に相手の心を知り、合わせていくことが大切です。あなただけが家のために一生懸命に信仰をしているように思っても、主人や子供の心にあなたが合わせる心がなかったら、それは独りよがりの信仰であり、家のためにはなりません。
 まず主人の心を考えて、家に帰って頂くようお願いをすることです。そして今の信仰はどのような信仰かと主人に聞かれたら、主人の心に添うことが第一ですから、『あなたのおっしゃる通りにします』と言ってついて行くことです」
 と私はお話をさせて頂きました。
 何日か経って、この方から電話がありました。主人が帰って来たとのことです。家の者は大喜びで、主人と共に楽しい暮らしが出来るようになったということです。
 この方のようにすぐ良くなることは稀ですが、問題にあった時、正しい教えをしっかり掴むことが大切です。

 ある日、駅の階段で一人の娘さんに会いました。一本の杖にすがり一段一段ゆっくりと登って行かれるのを見て、私はなにか危なっかしいような気がして、すぐ横に歩調を併せてついて行きました。すると、途中で倒れそうになられたので、すかさず手を伸ばして支え、大丈夫ですかと声をかけますと、この方はニッコリと微笑みを返され「ハイ、大丈夫です。最近だんだん慣れてきましたから」とうなずかれました。
 肩を並べてプラットホームまでゆっくりと進みながら話をいたしました。
 「関節リュウマチで、二年ほど家から出たことがなく、窓から外を歩いている人を眺めては、あんなふうに自分で歩けるようになったらどんなに嬉しいことかと思っていました。二ヵ月ほど前から、家の中で痛い足を引きずりながら歩く練習をするようになり、今では一人で杖を支えに少しずつ歩けるようになり、外へも出られるようになりました。四日ほど前から電車に乗って外の景色を見ることが出来るようになりました。杖を頼りにしてはいますが、自分の足で歩くことが出来電車にも乗れるようになったのが嬉しくてたまらないのです」
 と、電車のシートに並んで腰をかけ、笑顔で話してくださいました。
 私たちは自分の足で歩いてどこにでも出掛けることが出来るのに、歩けることがこんなにも楽しいと思ったことは一度もありません。私は自由に歩けることの喜びをしみじみと感じ、また、この喜びを忘れていたことをこの娘さんに教えられたように思いました。世の中には、眼の悪い人、耳の不自由な人、様々な人がおられるのを忘れ、ただ自分のことのみで、喜びも感謝の心も持つことの出来ない人がいるのを情けなく思いました。
 私が先に電車を降りることになり、一言、一日も早く杖がなくても歩けるように神仏にお祈りをさせていただきますから頑張って下さいね、と立ち上がりますと、
 この娘さんが、うっすらと瞳に涙をうかべ「有り難うございます。頑張りますから、おじさんもお元気で」と逆に励まされました。電車を見送っていますと、窓越しに手をふって何かを言ってみえるようでした。おじさんも元気で長生きをしてくださいと言われたような気がして喜びをいただくことができました。
 仏様の教えの一節に、『見る事、聞く事、触れる事がすべて菩提心をおこすものである』とあります。
 何気なく話しかけたことから、こんなにも素晴らしい感動を受ける出会いが得られたのです。私にはこの娘さんが仏の化身のように思えたのです。本当にこの方が一日も早く自分の両足で歩かれる日を心からお祈りする気持ちになれました。
 この娘さんも、やがて両足で歩けるようになられると思いますが、今の気持ち(歩けることの喜び感謝)を一生忘れないで暮らしていただきたいものです。
 普段、道を歩いていても、こんなにも素晴らしい出会いがあるのです。
 私たちは今、僅かなことで悩み苦しみ、人を恨んだり憎んだり、私ほど不幸な人間はいないと嘆き悲しんでいることが多いのです。自分の心の持ち方ひとつで世の中を見る見方が変わります。
 新聞やニュースを見ますと、人のお金を当てにしたり苦しいから自殺をしたとの記事を目にします。そんな記事を見ますと、腹立たしく思い、この娘さんの話を襟を正して聞いていただきたいものです。もっと心を大きくもって、いま生きている喜びをしっかりと持っていただきたい。
 失恋をして自殺未遂で命を取り留められた方が、五年後に、良き主人を持ち、二人の子供に恵まれて、今では幸福な家庭の主婦として、活き活きと暮らしている人を知っていますが、その方は失恋をしたときは、そのことだけしか考えられなかったが、信仰を持つことによって生命の尊さを知り、人生は長い、今どんなに苦しくともやがては良いこともあるからと知り、現在のように感謝の出来る生活をしていくことが出来たのです。
 人生にはいろいろなことがあります。大切なことは、心を内に向けて、豊かな心の自分を見つけることです。
 信仰とは、自分の人生の中に、感謝の出来ることを見つけることでもあります。

合 掌

宝塔第313号(平成18年2月1日発行)