「宝塔」第322号
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 どんな善い教えを聞いても
実行しなくては甲斐なし
親が基であると知り先んじて実行する

 玄関の戸を開けると高級な革靴が、片方は引っ繰り返りもう片方は玄関隅にくっついている。赤い女性用の靴がこちらを背に並んでいるが、かかとの部分がくずれ、もう靴の用をなすことができない。玄関右壁に沿う靴棚は戸が開け放たれ、中には種類の違う靴が方向をバラバラにして突っ込んである。(ちょっとおかしい)
 夜の商売でもしているのか、派手な服装でショートカットの髪に化粧気のない三十代後半ぐらいの奥さんがあらわれ、私を部屋の方へ案内する。障子の隙間から途中の部屋の内をのぞき見て驚く。高級家具調こたつの上に食べかけのカップラーメン、一週間分は溜まっている灰皿の中のタバコの吸殻、取り込んだままでたたんでいない衣類の山。部屋全体がゴミ箱のようである。
 奥の八畳間の座敷に入ると奥さんが、
 「ここで待ってちょうだい」と何か嫌らしい目つきをし棘のある声である。
 「ハイわかりました」と小さな声で答え中へ入る。
 この部屋は軽く掃除がしてあるようだが四隅には角がわからないぐらいほこりが溜まっている。
 (ああ、嫌なところへ来てしまった)
 部屋の中には一間の床の間と二百様の仏壇が入るだろう仏間があり、床の間には何も飾ってはいないが、ここの掃除に使ったのだろうか、掃除機と週換えのモップが立てかけてありバケツまである。異常な世界としか思えない。仏間の扉はガムテープが貼りつけてあり、中がどうなっているかさえわからない。
 十分ほどで奥さんが戻ってこられた。
 「ちょっと、うちのダンナ着替えしているからもう少し待ってちょうだいねえ。今お茶だすからねえ」と今度は化粧をしているせいかニヤリと微笑を浮かべ台所へ行った。
 「こんな環境じゃだめだ」と私はひとり言をつぶやく。 二三分して奥さんが、盆皿もなしに湯飲みを片手で持ってくる。そして、私の前に来ると立ったまま、
 「どうぞ」と湯飲みを突き出した。
 (この人には礼儀作法はないのだろう)
 「ありがとうございます」
 お礼を言いながらその湯飲みを受け取る。奥さんはくるっと向きをかえ戻って行った。こんな出され方をするとお茶を飲む気にはなれなかったが、喉の渇きをおぼえ一気に飲み干す。
 (なまぬるく薄い、いつのお茶だろう)
 外から自動車のクラクションの音が聞こえた。すると私が入って来た障子戸とは別の障子戸からこの家の主人が入ってきた。
 「待たせたねえ。わるかったねえ」と主人が気の無い挨拶をする。
 つい、「いいえ、大丈夫ですよ」ともう帰りたくてたまらない気持ちをおさえ大きな声でそれに答える。
 主人は、私が座っている場所から畳一帖ほど離れて座る。もちろんお茶は出されたが座ぶとんはない。それに気づいたのか主人が大きな声で奥さんを呼びつける。すると奥さんは、急いで座敷に入り仏間の方へ向かい、扉までくるとテープをはがした。扉が開くと、中にはふとの上に座ぶとんが無造作に積まれてあった。
 (仏間が押し入れか)
 そこから奥さんは座ぶとんを二枚出し、一枚を私にもう一枚を主人に渡した。奥さんはまた座敷から出て行ったが、仏間の扉を閉めてはいかなかった。南の窓から射し込む陽だまりが、座ぶとんを出した時に舞ったほこりで白線のように見える。主人が咳き込む。アレルギーのようだ。(こんなほこりじゃ、あたりまえだ)
 主人と話をはじめる。
           ―――中略―――
 三十分ほどで話が終わる。この家にやって来た目的が果たされた安堵感からか、用を足したくなる。この家を出てからにしようと思ったが、つい家の全部を見てやろうという気が起こる。
 「すいません。トイレをお借りしたいのですが」
 「どうぞ、この障子の向こうの廊下を右に行って下さい突き当たりがトイレですよ」
 急ぎ足でトイレに向かう。トイレのノブをとる。ノブが水に濡れている。それでタオルのないことがわかった。そして、ドアを開けると・・・私はそれを見て、用足しも忘れ、ドアを閉じると大きな声で、
 「もう失礼します。ありがとうございました」と告げ玄関に走った。
 「ハイ」と言う返事だけで二人は見送りにはこなかった。相変わらず玄関の靴が乱れている中で、先を庭の方角へ向けきちっと揃えてある自分の靴を見て、揃えることをしつけられた自分とそれを厳しくしつけてくれた両親への感謝の気持ちがわいてきた。私は、靴を履いてその家から出ると二度とこんな家には来たくないと思いつつ、大きな深呼吸を一つして帰路についた。
  ○月○日 ○曜日 A君宅を訪問して

 これはある学校の若い先生が、自分の受け持った生徒の家を訪問した時のことを日記に書いたものです。先生自身少し神経質なところもありますが、その家の様子、両親の状態がよくわかります。このような家庭では順調に育つべきお子さんも育たないのではないでしょうか。この先生は学校だけの教育ではとてもおぼつかないことを感じられたと思います。よく子供が悪くなると学校の責任と見る方もいますが、とんでもありません。百パーセントとは言いませんが、九十パーセントは家庭に原因があるものです。
 いくら外見をよく見せたとしても、内なる思い、考えは外に現れてきます。玄関の靴の乱れ、部屋の乱れ、すべてがその家人の心の現れとしてうつし出されるのです。ごまかしはききません。成長期にあるお子さんは親の姿を見て、自分の考え方、ものの見方を養います。
 三つ子の魂百まで―――このことわざの通り、幼い時に身に付いたことは一生忘れるものではないのです。親自身の心を引き締めて、これがよい子を育てる元となることを反省しなければなりません。
 ここに掃除によって悟りを開いた人の話があります。
 昔、シュリハンドクという、自分の名さえ覚えることのできない愚かな僧がいました。そんな自分をいつも悲しく思って沈んでいましたが、ある時、仏から掃除行をしなさいと言われました。ハンドクは言われたとおり毎日の掃除を一生懸命行い、ついに悟りを開くことができたのです。
 ハンドクは掃除によってまわりをきれいにしただけではありません。実は心が清められたのです。曇っていた自分の心の鏡が掃除することで美しくなり、美しくなった心の鏡にすべての真理がはっきりと映し出されるようになり、仏の心を理解するに至ったのです。
 人間は死ぬまで修行です。子供でも大人でも、その人格を高めていこうとする努力を怠ってはいけません。
 若い子供―――それは大きな夢、希望をもって将来立派な人となる可能性をもつダイヤモンドです。ところが親は、自分の心を磨く修行をしません。ちょうどダイヤモンドの鉱山がありながら、それを掘り起こす意志もなく道具もないに等しいでしょう。埋もれたダイヤモンドは外へ出たくてうずうずしています。『私は自分を輝かせたい。活かしたい』こんな叫びが聞こえてくるのです。
 まず玄関先の靴をきちっと並べることから始めましょう。親が変わればきっと子供も変わってくるはずです。 
 何度も仏の話を聞いて、それを生活の中に実行して行くことこそ人間生活を潤(うるお)す大事なことなのです。

                   合掌

宝塔第322号(平成18年11月1日発行)