「宝塔」第326号
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 功徳は自ら行ってこそ現れる

 今は色々な信仰が沢山あって、困っている人や、悩んでいる人の心に訴えている。一生懸命に祈りなさい。
 一心になって願いの叶う様に拝みなさい。又、願いの叶う様に祈りなさい、と言う事である。本当に祈って叶うのなら努力もいらないし、働きもしなくてもよい、と言う事になります。
 こうした信仰が流行れば流行るほど、世の中は悪くなる様に思います。今は、すべて自分を中心にものを考え自分を中心にして生きている様に思います。年老いた両親を邪魔にして別居をし、子供には少しでも勉強が出来良い高校に良い大学へと願い、楽な一生を送る様に育ててやりたい。いつもこんな考えを持って子供を育てているのではないでしょうか。勉強の嫌いな子供は、こんな親に逆らって横道へそれて行くのです。すると、こんなに一生懸命に信仰をしているのにと、愚痴をこぼしたり、苦しんだりします。すべてを自分の思い通りにしようとしているだけで、本当に子供の将来を考えての事ではありません。勉強が出来なくても元気で健康であれば有り難いと思えばよいし、社会に出てから苦労するのも、長い人生の一つ一つの勉強と思えば、学生時代に勉強々々と言わなくてもすみます。本当に苦しんでいる時こそ親が手を差し延べてやり、共に生きて行くことが最も大切な事だと思います。親が苦労して育ててくれた事、小さい時に徹夜で看護をして頂いた事など、すっかり忘れてただ、家の事・子供の事で懸命になって、それで思うようにならないと信仰に救いを求める人もいます。
 仏様の教えとはそんな物ではありません。仏教は慈悲を中心に教えを説いておられます。因果の二法を説いてみえるのです。今日、苦しむのは、それだけの元があると。その罪業を消滅しなければ救われないと、説いてみえるのです。
 二十年程前の事です。ある一人の奥さんが、小学校二年生の子供さんを連れてお見えになりました。その子供さんが心臓病で、学校で少し走り回ると、唇を青くして倒れる事がしばしばで始めのうちは先生が子供を背負って家へ連れて来て下さる事が度々ありました。いつまでもこんな事では困りますので、医者もあちらこちらと変えて見ましたが、少しも良くなりません。そこで信仰をと、人に勧められてこちらへ参りました。この子は信仰をしましたら良くなりますでしょうか、と聞かれました。
 「大丈夫良くなられますよ、それには教えを聞いて頂かなければなりません。貴女の御両親はどうしておられますか」と尋ねますと、どうしてその様な事を聞かれるのかと、反問されました。「貴女は親不孝をしているから、今日、子供の事で悩むのです」。この一言がこの方の心を刺激したのでした。突然涙ぐみながら、
 「私は五歳の時に母親に捨てられました。私は今でもこの母親を許す事は出来ません。自分の子供が病気で苦しんでいる時、親はこんなにも子供の心配をして、看護しているのに、私の母は小さい私を捨てて行ったのです。こんな冷たい親は世の中にはいないと思ってます」
 と話されました。さらに聞いてみますと、
 「私も小さかったのでよく知りませんが、祖母の話によりますと、お父さんが酒飲みで、よく母を殴ったり、蹴ったりしたので、母が居たたまれなくなり、家を出た様です。その時に、なぜ、私も連れて家を出なかったのかと思いました。その事がだんだん大きくなるに従って、母を怨むようになりました。そして父を憎むようになって来ました。私が十歳の時、後妻として母が来たのですが、なかなかうまく行かなかった為に、二年程して叔父の家に預けられましたが、そこでも、ごたごたと揉め事があり、叔父が私に辛く当たったりしましたので、夜外に出ては、お母さん、何故、私を連れていってくれなかったのかと星を見ては、怨んだりしたものです。本当に母は冷たい人です」
 とのこと。黙って聞くだけ聞きましてから、私は、
 「そんなに母や父を怨んだり憎んだりしていては子供は少しも良くなりませんよ、益々病は重くなるばかりです。今から私の言う事をしっかりと聞きなさい。
 戦後、物が無く、食べ物も少ない時代に、お父さんがお酒を飲んでお母さんを叩いたり蹴ったりする様子を、親が見たら耐えられないですよ。恐らく、お母さんの親あなたの祖父母は辛抱出来なくて、引き取りに来たのでしょう。当時はまだ父親に親権があって、子供は父親という事で、お母さんはあなたを置いて行くことには反対したでしょうが、泣く泣くあなたを置いて出て行かれたのですよ、五歳にもなる可愛い子供を涙を流さずに置いていける母親がありますか、多分、家を出てからも、あなたの事をいつも心配しておられたに違いありません。夜、寝床についても、あなたのことを始終思って、いつも泣いてみえたと思います。今あなたが私の言う事が信じられない様でしたら、一度、怨む事より、母親の消息を聞いてみる事です。遠く過ぎ去ったことで、たやすく尋ねあてる事は難しいと思いますが、尋ねてみることです。もしかすると、亡くなってみえるかもしれませんが尋ねてみなさい。そうしてあなたの心の垢を洗い落としてから、信心を一生懸命にすることです」
 と申し上げました。
 それから十日程たちましてから、また尋ねてみえました。私の前に座ると同時に、涙を流され、「先生、お母さんは死んでいました。お墓にもお参りして来ました」と言われました。そして話されたことは、
 「母の妹さんに会って聞きましたら、『あなたのお母さんは、親の家に帰りましてからは、毎日あなたの事ばかりを心配して鬱病の様になり、やがて肺を患い、結核の病院に入ってからも、たまに私が面会に行きますと、すぐ、あの娘はどうしているかと心配ばかりして、だんだん病が重くなり、最後にはあなたの事をうわごとの様に言い続けて亡くなられたのです』と言われました。前に、先生に会った時に、言われました通りでした」
 と、声を上げて泣かれたのです。
 人は立場を変えて物を考える事の大切さを私自身も、教えられた様に思いました。
 この方は父親も亡くなっていましたので、タンスの上置に父と母の名前を書いて、毎日、拝む様になられたのです。そして、心臓病の子供さんが怪我をして入院をした時に、家政婦として付いていただいた方が、後妻にみえた母だったのです。奇しくもその縁で、お互いにびっくりして、次第に行き来する様になりました。話を聞いてみますと、お父さんが亡くなられてから、一人淋しく暮らしていましたが、遊んでいては生活が出来ないからと家政婦になって働いているとの事、今ではその義母とも共に暮らす様になり、子供の病気も心配せずに生活が出来るようになったのです。
 人は自分の立場でものを見ると腹の立つ事が多く、思う様になりませんが、立場を変えて見ると共に同じ様に相手の心が分かる様になります。慈悲とは相手に対する思いやりです。現在の世の中には相手に対する思いやりが欠けていて、子供に対しても、これが子供に対して一番良い事と自分で決めてそれを押しつけて行く事が多いのです。子供を叱りながら、主人に対しても、貴方がもう少し叱らないからと子供の前で喧嘩をする事もあります。子供から見れば、僕は勉強嫌いなのに、無理な事ばかり押しつけたあげく、お父さんとお母さんが喧嘩をしている。だからこんな家には居たくないと家出をしたりする子供もいるのです。
 子供が求めるのは、お父さんとお母さんが仲良くしてくれることです。それがどれだけ嬉しいか分かりません。よく言います。夫婦仲良く暮らしていれば、子供が安心して、真面目に勉強しない子も次第に真面目になって行くものです。子供が病気になったら、夫婦の中に出来た子供だから、私たちが何か喧嘩をしたのではと思って反省することです。子供の事で心配があれば、私たちもこんなにして親に心配をかけたと、両親が亡くなっておれば、両親の位牌の前で懺悔をし、両親が健在ならば、少しでも親孝行の真似事でも心がけることです。これが本当の信仰と言うものです。

      合 掌

宝塔第326号(平成19年3月1日発行)