「宝塔」第329号
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 堪忍する者こそ幸福なり

 「人間こそ、笑いまた泣くところの唯一の動物である。つまり、人間こそあるがままの事実と、あるべきはずの事実との相違に心をうたれる唯一の動物であるからだ」
 W・ハズリットの言葉である。
 「あるがままの事実」とは、現実直面している目の前で起こっている出来事であり、「あるべきはずの事実」とは願望を多分に含んだ自分勝手な想像的、理想的結果であろう。
 私ども人間は、誰一人として苦しみや悲しみを待ち望んではいないはずです。当然のことですが、いつでも結果は喜びであり、楽しい日々を夢に見て生きていることでしょう。
 なのに一向に喜びなど来ない、むしろ正反対の答えが出てしまう。そんな思いを幾度となく繰り返し一生を終えてしまう人も少なくないのではないでしょうか。
 私の知人に、何事にも一生懸命に取り組み、努力は惜しまず、人の嫌がるような事でも率先して実行される方がおられますが、どういう理由か自分も含めた家族が病気だの、怪我だのといって苦しんでおられます。
 この方とて、苦しむ為に一生懸命に努力をされているわけではないのです。その証拠に「何故これ程、私は運が悪いのだろう」と、会う都度に話されます。
 仏様は、ご自身の仏眼を通して我々人間を見られた時その有り様を「苦をもって苦を捨てる」と表現されました。
 楽しい事がやって来たから今までの苦しみを捨てるのであれば有り難いのですが、新たな苦しみがやって来ていつまでも今の苦しみに掛かりっきりになっているわけにはいかないから、仕方なしに今の苦しみを捨てるのだと申されたのです。
 その通り、私たちは誰でも大なり小なり苦悩を持って毎日生活をしている身なのです。たとえ、ひとときは楽しそうな顔を見せたとしても、次の瞬間は苦悩に満ちた現実との戦いが始まります。
 結婚式なども良い例ではないでしょうか。最近ますます派手になる一方の披露宴、雛壇がせり上がったり、車で登場したり、ゴンドラで舞台に降りてみたりと、テレビでも見ているような気分にさせてくれます。その主役を演じる新郎新婦は当然、終始笑顔でヒーロー、ヒロインになったような気持ちではないでしょうか。
 大きなウエディングケーキ、新郎新婦のお色直しも何度となく行われ、出される料理とて日本食はもとより、フランス料理や中華に至るまであらゆるものが用意されており、出席者もこの日の為にと衣装を新調する。そして、新婚旅行は海外へと夢のような数日でしょう。
 なにもそんな結婚式が悪いと申し上げているのではありません。見方を変えれば、一生に一度の事だからと思う親心や本人たちの希望であれば、他人に迷惑を掛けるわけでもなし、出来るだけのことをしても結構だと思います。
 ところが、旅行から帰ってみると日一日と現実に戻っていき、夢のような出来事は昔の思い出になり「あばたもえくぼ」のはずが「えくぼもあばた」に見えてくるのです。
 挙げ句の果てに、離婚などという事態になっては悪い夢を見ていたでは済ませられないような気がしてなりません。
 かなり前の事になりますが、笑うに笑えない話を聞いた事があります。
 私のところへ、結婚の招待状を持って「是非、息子の結婚式に出席して下さい」と、A氏がおみえになりました。予定表を見ると、まだ白紙であったので早速「A氏の息子さん婚礼」と書き込み、「喜んで出席させて頂きます」と、その場で返事をしたのです。その後、日柄の善し悪しを選んでA氏を訪ね、お祝いを渡しました。
 それ以後、A氏とはお会いする機会がなく、明日がA氏の息子さんの結婚式という日の午後、突然電話があり「今から伺いたい」とA氏が言われるのです。何事かとA氏が訪ねてみえるのを待っていると、息子さん共々お見えになり、開口一番「申し訳ございません。結婚は破談になりました」と言われるのです。そして、私が先日持参したお祝いと手土産を差し出され、声を出して泣かれるのでした。
 余計な事かとも思いましたが、事情を聞いてみますと、 「私は、この結婚について反対しておりました。しかし彼女のお腹に子供が出来てしまい、息子たちが勝手に婚姻届まで役所に出してしまったので、仕方なしに結婚を許したのです。ところが、今朝になって先方から電話があり、一方的に破談にしてくれと言ってきたのです。とにかく、息子を連れて先方へ行き、説得したのですが、聞き入れてはくれず、恥ずかしながらこうして頭を下げて廻っております。」
 と話されました。私も「それは、大変でしたね」と声を出すのがやっとでした。その後、A氏とお会いして「息子は、結婚式もせずに離婚届を出し、子供も下ろしてもらいました」
 と話を聞いた時には、何か妙な気がして、そんな事も広い世の中にはあるんだなあ、と不思議な思いをしたことを今でも覚えています。
 A氏にしてみれば、息子の結婚を許すことすら苦しみであったのに、それ以上の苦しみが突然やってくるとは思いもよらなかったに違いありません。
 それこそ、「苦をもって苦を捨てる」そんな言葉がピッタリする出来事ではないでしょうか。
 そして、人間は生まれてから死ぬまでの間ずっと、こんな「苦から苦を作り続けていく動物である」と仏様の眼には映ったのでしょう。
 ただ、私たちには何の救いもないのかというと、そうではありません。必ず救いはあります。
 三百年の治世の基礎を固めた徳川幕府の祖、徳川家康が、次の言葉を残したと後世に伝えられています。
 
   人の一生は重荷を負うて
   遠き道を行くが如し
   急ぐべからず
   不自由を常と思えば不足なし
   心に望みおこらば
   困窮したる時を思い出すべし
   堪忍は無事長久の基
   怒りは敵と思え
   勝つ事ばかりを知りて
   負くる事を知らざれば
   害その身に至る
   おのれを責めて人を責むるな
   及ばざるは過ぎたるより優れり

  勝つ者とて、すべてが勝ちではなく、むしろ負けを知る事の方が必要であります。
 幸福な人でも、すべてが幸福ではなく、むしろ時には悲しみ苦しむ事も大切ではないでしょうか。
 限りない欲、そのすべてを満たしてくれる要素を私たちは持ち合わせていないのです。
 そうした意味において、仏様は私たちに「堪忍」という言葉を残されたのだと私は思います。

合掌

宝塔第329号(平成19年6月1日発行)