「宝塔」第337号
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因縁所生

  私たちの今現在の境遇は、それまでやってきた自分自身の行動の結果であります。因縁所生と言いまして、すべての現象は、みな縁によって生ずるものであります。こう言いますと抹香臭い因縁ばなしみたいだと言われるかも知れませんが、実は、すべてのことには原因があるから結果があるのです。それを歴史と呼びます。当たり前の事ですが、そういう因果の道理を知らないからこそ色々なことが生まれて、そこに苦しみが生まれてくるのです。
 人は残念ながら、頭を打たれなければ身にしみないものです。
 或る人が娘さんを亡くされ、悲しい思いに、今は只、一生懸命にお経をあげる事のみで、思い出しては相手の男性に憎しみを抱き、思い出しては涙に暮れておられたところ、縁があって尋ねてこられました。話をお聞きすると、恋愛をされたのを一緒にさせてあげなかった様でどうして一緒にさせなかったのかをお尋ね致しますと、「私たちが反対をしました。勤め先もたいした会社ではありませんし、相手の両親の行いも良い方ではありませんでしたので」とのお話しでした。
  私はこの両親の顔をじっと見つめながら「娘の事を願うは親心とは言え、この結婚に反対された事が原因で自殺をされたのですね。要は貴方達が反対をされなかったら自殺をされずにすんだのですね。と言う事は、あなた方が反対をして、娘さんを殺した様なものですね」と申し上げますと、自殺をされた本質を知り、「私達が・・・」とびっくりされました。しばらく考えてみえてから、お母さんは涙を流して、「そういう事ですね」と泣かれました。私はその娘さんがお母さんのお腹の内にあった時の事を少しづつ聞きました。胎内にある時の家庭環境や母親の心遣いが、よくこうした事を引き起こす原因になることがあるとお話しを致しました。
 十年程前の事ですが、一人の奥さんが小学一年生になる子供を連れ尋ねて来ました。この子供さんが近所の家に遊びに行き、その家の物を持って来たりお金を盗んで来たりしていました。それを公園の隅に隠して知らない顔をして家に帰り、明くる日にそれを出して来て遊んだりしていたので、母親は少しも気がつきませんでした。近所の人から話を聞きびっくりして、子供を呼びつけて叱ったり叩いたりしましたが、子供は度々同じ事をしました。その場所に住む事も恥ずかしく思い、住居を変えて住む様にしたのですが、しばらくすると、また、子供が同じ事をしました。三度も家を変えて住みましたが、どうする事も出来ませんでした。子供の事とはいえ恥ずかしい事ですので、その子を殺して母親も死にたい思いで一杯でした。そんな状態にいる時、こちらへ尋ねてみてはどうかと知人に勧められたそうです。
 この子をどうしたらよいのですかと尋ねられました。その時に胎教の話をさせて頂きました。「その子がお腹にある時、あなたは家の者や人に知られない様な何か悪い事をしたのではないですか。例えば、お腹に子供さんができるとよく食べ物が変わると言う事がありますね。主人や家族の者に分からない様にと、内緒で食べたりはしませんでしたか。それを子供さんがお腹の中で見ていて、そうした事をする事があります。どうですか。」とお聞き致しますと、顔を赤らめて、「ハイ、毎日の様に四ヵ月程しました。義母や主人は魚が嫌いでしたから食事の時そうした物は少しも出しませんでしたが、私は無性に魚が食べたくなり、内緒で買っては、家の者の留守の時を見計らって煮て食べたものです。」と言われました。
 「人の目を盗んであなたがしていた時の事を、今子供さんがしているのですね。貴方は、ただ子供が悪い事をするとのみ思い込んでいますが、考えてみれば、それは貴方が教えていたことなのです。今夜から、子供さん寝てから、その子の背中に手を当てて、心から、私が悪かったのに、叱ったり叩いたりしてすまなかったと、二十一日間、拝んでみなさい。あなたの心が仏様に通じたら、二度と内緒事や盗みはしなくなります。」
 この話を聞かれた奥さんは、一生懸命に懺悔をすると同時に、『子供が悪いのではない。私の罪で子供がこうした事をするのだ』との心で、夜、拝まれました。半年程して、またお見えになりました。その時のお顔は晴れやかで、「ありがとうございました。子供が良くなりまして、近所の方とも親しく付き合って頂いております。学校の方も真面目に行き、大変良い子になりました」との事でした。その時に、「良い子になったと言われましたが、それはあなたがかつて作った罪を懺悔をされて消滅されたからですよ。もともと子供さんは悪くありませんでしたからね」と、笑いながら話をする事が出来ました。どんな事にも原因と結果があるのです。この道理をしっかりと知れば、大きな因、すなわち罪障があっても小難となって行くものです。
 こうした話を、二三致しますと、先の娘さんが自殺をされた事に対して、しばらく考えてみえられましたが、「私は人を殺す様な思いをした事は無い様に思いますが何かあったのでしょうか」とお尋ねになりましたので、先ず第一に「胎内にこの子供さんがあった時に、この子供さえなかったらこんな苦しみはしなくてもよかったのにとか、この人が居なかったらよいのにとか、そうした思いはしませんでしたか」と申し上げますと、パッと目を開かれて、思わず、「ハイ、ありました。主人の前ですが(ご主人と一緒に来ておられました)、私がこの家に嫁入りしました時には、姑さんや小舅さん達がおられて毎日毎日お世話をしていました。そんな時、子供が出来ましたが、悪阻(つわり)がひどく苦しみ、姑さんや小舅さん達がいなかったら、お腹に子供がいなかったらと、毎日の如く思い続けていました。いっその事、子供を堕したら少しは楽になるのではないかと、するめを食べると子供が下りると聞き、それを食べた事も有ります。水風呂に長く入っていると子供が流産するとのこと、それもやってみましたが駄目でした。こうした事が娘の自殺と関係があるのでしょうか」と尋ねられました。私はその話を聞きまして、「娘さんが自殺をされたのは、あなたのお腹にある時に決まったのですよ。それを因と言います。恋愛で親に反対をされて悲観をしても、家を出て暮らしている方も多くおられます。死ななくてすむ事ですが、因があるから縁、すなわち、両親に反対された事に死の道を選ばれたのです。人のせいではなく、あなた方がこうなる様にして来た事ですよ。憎いと思う男性が娘を死に至らしめたと思う事も間違いですね」とお話し致しますと、お母さんは声をあげて泣かれました。お父さんも目に涙を一杯に溜めて「私たちが早くこの事を知って、その盗みをする子供さんを持つ奥さんのように懺悔をしていたら娘は死なずにすみましたか」と聞かれました。「そうですよ、だから人は信仰をもって生活する事です」と言いますと、「今までは、信仰を持つ者は心が弱いからと、軽蔑をしていましたが、この様な話を早く聞いておれば、大事な一人娘を殺さずにすんだのに」と泣かれました。「今どんなに悔やんでも死んだ娘さんは帰って来ません。ただ、これからは娘さんの供養をどんな風にするかですね。泣いてお経をあげていても成仏するわけは有りませんから、これからは出来るだけこうしたお話を聞いて、本当の供養をすることです。追善回向とは善い行いをして、その功徳を亡くなられた娘さんに手向ける事です。そうしてこの一つの事だけが因ではなく、今日までに色々な事もあったと思います。また、良い因もあったことですから、悪因を善因にかえて、悪い縁を作らないようにして行く事ですよ」と話をいたしました。それから度々お話を聞きに見えるようになり、いつの間にか明るい表情になり声も明るくなりました。こうした事は私たちの毎日の生活の中で繰り返されています。人は皆、今日までの行って来たすべての行為が因となって縁を結んで結果となって現れてくるものです。 

 合掌

宝塔第337号(平成20年2月1日発行)