「宝塔」第338号
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人は常に三つの苦の中にある

 その一つは、これは肉体を病む、精神的に病むという事です。昔から、「肉体は四百四病の器である」と言われていますが、今では何万と言う病気がある事でしょう。どこの病院も毎日毎日病んでいる人達で一杯です。かぜで通っている人もあれば今の医学では治すことの出来ない病気もあります。人は常に病と言う恐怖に悩まされて生きています。また、生まれながらの身体障害の方もあり、この様な方々が毎日どんな気持ちで暮らして見えるか分かりません。
 ある奥さんが娘の顔に黒いあざがある事で娘以上に苦にして暮らしておられ、相談に見えました。
 この方の話を聞いて見ますと、高校二年の頃から毎日々々鏡を見ては「こんなあざがあるから外にも出られない、人にも会えない」と悩みだして、長い間家にこもり「いっそ死んだ方がよい、なぜこんな顔に生んだ」と母親を責め、毎日家にいても辛く、母親の方が自殺でもしたいとのこと。「娘のあざがあるのは何故でしょう」との相談でした。
 「こんなに苦しんでいても、生きている事は素晴らしい事です。もし娘さんが結婚して、明るい顔で子供さんを連れて遊びに来られるかも知れません。あまり自分を責めないで、一度連れていらっしゃい。よく話をしてみましょう」。
 三ヶ月程して、二人で尋ねて来られました。この娘さんにこんな話をしました。
 「まだ貴女は五体満足ですから、自分で歩く事が出来ます。私の知っている方で、腰から下が麻痺して車椅子でも誰かに付いて貰わなければ暮らせない人が書道の練習をして五段の段位を取られて、毎日を明るく生きていらっしゃいます。人の運命は色々で、顔も綺麗で身体の健やかな方が、結婚してから不幸になって自殺された方もあります。顔にあざがある事ぐらいで、くよくよせずに信仰の道にでも入りなさい。仏様の教えは人に力強く生きる道を説いて下さいます。人は僅かな事に囚われて、普通の人でも悩んでいる人が多いのです。私にはこんなあざがあっても平気ですよと人に見せるぐらいな大きな心になることです。僅かなあざを気にすることは、このあざに負ける事になります。大きな気持ちを持って生きる為に、度々お参りに来なさい」
 とお話をさせていただきました。
 この娘さんは、それでも顔を伏せる様にして、お参りをされていましたが、二年程してだんだん明るい顔で来る様になりました。
 そんな時、
 「貴女よりお母さんの方が、小さい時から貴女の顔のあざを毎日見ては、どんな思いで育ててこられたかを考えてごらんなさい。自分が生んで育てた子供はどんなにか大切なものです。お母さんの気持ちになってあげなさい」
 と言う内容を話させていただきました。
 娘さんも、気持ちがほぐれて、お母さんに対して優しくなられて、やがて外にも出て働かれるようになりました。
 会社でも、評判のよい娘になり、二十五歳の時に、縁談がまとまり結婚をされました。ある時、お参りに見え子供が出来た様に思いますが、私の様に顔にあざのある子供ではないでしょうか。心配で心配で夜も眠れないとのことでした。
 私は笑いながら、
 「やはり心配ですか、貴女が毎日鏡を見ては部屋にこもっていた時の事を思い出してみなさい。その時、貴女のお母さんがどんなにか心配をされたかをです。僅かなあざの事で親を責めた事を心から懺悔して今日こんな幸福になる事が出来た事を心から感謝していく事です。それが、今度生まれてくる子供をきれいな顔で生むことになるのです」
 とお話をさせて頂きました。
 この方はそれから一層、自分の両親にも、主人の両親にも一生懸命に心掛けて親孝行する様になりました。
 やがて月が満ちて、無事出産されました。お宮参りの日両方の両親と赤ちゃんを連れてお礼参りに見え、この両方の親御さんからいろいろとお話をお聞きしました。
 「こんな良い嫁は有りません。赤ちゃんも、本当に可愛い顔をした色の白い女の子です」
 この赤ちゃんがなんだか、私の顔を見て笑った様な気が致しました。六年程前にふさぎ込んで来られた最初のことを思い出しまして、良かったなあと心から後ろ姿を拝む心で一杯でした。人が生きるには、顔や形でなく、心である事をしみじみと味わう事が出来ました。

 第二の苦しみとは、自然が起こす災難です。ある方は長い間かかって建てた家が台風による水害で潰され、鴨居に足を挟まれて長い間入院をされ、それからまた頑張って、ようやく家を建てる事が出来ましたが、新しい家に入って二ヵ月程して隣の家の失火で類焼をして焼け出されてしまいました。三度目には、さすがに家を建てる元気もなく、この土地は何かが祟っているのではないかと悩み、御祓いをして頂いたそうですが、少ししてから体調を悪くされて亡くなられました。
 この方の一生は只、家を建てることのみに終わっていかれた様なものです。この様に不運と言いますか、自然による災難という苦を人は何時何処で遭遇するか分からないものをもって生きているのです。

 第三の苦とは、生きるという苦しみです。人が生きていく事の苦しみは大変なものです。先ず生まれて親に育てられて、物心がついてくると幼稚園だ、学校だと始まります。勉強の嫌いな子供は大変です。それでも何とかして大学を卒業しますと、働かなければなりません。お金を儲けるのは大変です。世の中の九割りくらいの人は自分の思いとは違った所で働いているそうです。ある方は百姓が嫌で大学の理工科を卒業したのですが、突然の父親の死で嫌々後を継がれました。この方と会った時、「僕は親の姿を見て百姓が嫌で工業の方へ進んだのですが、仕方がありません。このまま頑張って行きます。只、困った事には百姓の家に来る娘さんが無い事です」とこぼしてみえました。
 又ある方は、法律の方を出て、一流会社の営業で毎日夜遅くまで働いて家に帰っても、家族で楽しい夕食も食べられないとのこと。年頃になって結婚して、始めは楽しく暮らしてみえましたが、子供さんが一人二人と生まれてきますと、奥さんは育児に気をとられてご主人の事はかまっていられません。呑めなかった酒を呑むようになり、子供はだんだん大きくなると親の言う事など聞いてはくれません。子供の事や会社の事で神経をすり減らし、病になられる人も多いのです。子供が成長して結婚してやれやれと思った時には、もう死がそこまで近づいているのです。人の一生とはこんなものです。何の為に生まれて、何の為に生きて来たのか分からなくなってしまいます。これが人生です。
 仏様はこうした私たちの為にお経を残されたのです。すべてのことに執着しない心を作り、そこに喜びや感謝も生まれてくるのです。信仰は、人生に生きがいと感謝を与えてくれるものです。
                              合掌

宝塔第338号(平成20年3月1日発行)