「宝塔」第346号
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戒律を守ってこそ仏に護られる

  一、不殺生
 
 ペットブーム、犬や猫、今時の動物たちは人間以上に高級食品を食べ、ブランド服を着せてもらい幸せなことです。いやしかし、これは飼い主が自己満足しているだけで、本当のところは違うのかも知れません。実際犬や猫に自分たちの置かれた状況についてインタビューしてみると、
 「おいおい、たまらないよ。俺たちも、この頃運動不足と栄養の取り過ぎで骨はもろくなるし、病気は頻繁に起こってくる。少しでもダイエットしようと考えているんだけど、俺の主人ときたら人間にとっては高級かも知れないが俺たちにとっては高級でも何でもないものを無理やり食べさせやがるんだ。それに俺には元々天から授かった毛があるのに窮屈な服を着せられちゃ身動きができなくて困るんだよ。俺たちはひい祖父さんから聞いた時代のように自由に野を駆け回って、子供と一緒に遊びたい気持ちで一杯だなあ」。
 こんな答えが返ってくるかも知れません。動物好きが動物に愛情があるとは限りません。人間・動物に限らずあらゆるものに対して相手の立場を思いやり、真に相手のためになることを心がける。これが愛情の本質です。ところがこの愛情についての間違った捕らえ方をして、相手の立場に立つのではなく、返って相手を苦しみの境界におくることが多くあります。それは相手が楽しくなるのではなく、自分だけが楽しくなる世界であり、愛情とは程遠いものでありましょう。すべては心が元であるという教えの中、相手の心を殺す“殺生”こそ戒めたいものであります。

  二、不偸盗(ふちゅうとう;「盗みをしない」の意)
 
 のどの渇きの水一杯、誰もがおいしいと言わない者はありません。生物にとってはなくてはならない大切な水です。ある若い奥さん(姑と同居)にこんな愚痴を聞きました。
 「私は結婚して三年になり、とてもよい主人に恵まれ幸せです。でも一つだけ嫌だなあと感じる事があります。それは姑のことなのです。とにかくたいした事ではないのにとやかくと注意します。例えば台所で洗い物をしている時、急にお客さんが来たりすると、どうしても蛇口をしっかり締め忘れることがあったり、洗濯などには水の調節のできない古い洗濯機を使っていますから、つい蛇口を閉めるのを忘れることがあります。そんな時必ず水がもったいない。もう少し大事に使わなきゃ、と言います。水はいくらでもあるのだからそんな貧乏くさい事を言わなくてもいいと思うんですが」。
 これを聞き今は感謝の気持ちの足りない時代であると通説に感じました。
 平成○年○月○日、日本全国の河川・湖の水が消えました。あなたはどうしますか。生きるためにはそれを求めなければなりません。水がある国へ行ってこう頼みますか。「すいません。私の国では水が消えてしまったのです。水が無ければ私たちは死んでしまいます。どうかあなたの国にある水を少し分けて下さい。恩恵は一生忘れません。お願いします」
 幸い日本はどの国よりも豊かに水を頂いています。しかし、これもご先祖の水に対する深い感謝の報いであり、水を守るところに水によるご守護があったと考えます。感謝のなくなりつつある現在に於いては豊富な水もいつ涸れるとも知れません。一杯の水を頂くにしても大自然への感謝をもって頂きたいものです。また環境問題が叫ばれる中、無駄遣いすることが私たちを生かさしめる大自然に対するドロボウであるという厳しい心を養うことも大切なのでしょう。

 三、不邪淫(ふじゃいん)
 
 お釈迦さま御在世当時、インドのミタイラ部落の阿耨(あのく)の井戸での出来事 ある日、その井戸の傍(かたわ)らで、幼い子供を連れた一人の若い女が、若い男と夢中になって乳くり合っている。彼女は手につるべ縄を持って、この井戸に水を汲みに来ていたのである。その途中、思う男に逢って、互いに恋をささやきつつ井戸までやって来た。恋のために夢中になっている彼女は、つるべに結ぶべき縄を自分の幼い子供の首に結んでしまい、そうして水を汲むために井戸の中に子供を投げ込んでしまった。気づいた時はすでに遅く子供の命は失われていました。それ以後、自分の愛欲の恐ろしさを知り、仏に帰依し、仏道修行に励みました。〔根本説一切有部毘奈那薬事第八〕

 どこかの国のワイドショー番組に放送されるような話です。飽くなき欲望がいかに危険をはらんでいるかを仏は戒められたのでありましょう。

 四、不飲酒(ふおんじゅ)
 
 ある駅のプラットホーム、酒に酔ったサラリーマンが電車を待つ私の後にやって来て突然、
 「ああ気持ち悪い、ああ気持ち悪い」
 と大きな声で喚(わめ)き出しました。
 あまりに大きな声でありましたから私は驚いてしまい、その人から離れるように電車の乗り場所をかえました。その人は泥酔しており、酒を楽しんだ顔とは違い、今にも死にそうな青ざめた形相をしていました。悪い酔いでありますから正しい判断もつかないのでしょう。直立した姿勢から、両手を膝に付けてお辞儀をするようなかっこうを何回も繰り返しています。あまりにも気の毒なようですが、直ぐに電車が参りましたのでそれに乗りました。その人とは同じ車両で、私の座席後方からの「気持ち悪い」という大きな声でそれが分かりました。人の心とは不思議です。先程までは彼を辛そうであるからと同情をしておりましたが、電車に乗ってからは変わりました。丁度電車内は帰宅時間、乗車も多く皆さんが疲れたようすで静かにされております。ところが他を顧みない彼の大きな声は、その静かさを壊します。酔っているとはいえ罪を作る人だ、良い思いをもてなくなるのです。多分眠っている人以外はそう感じたでしょう。昔から諺があります。「一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む」。
 欲をかき過ぎるところには必ず失敗がつきまとうものです。酒も飲み過ぎれば、健康を害し、人に迷惑をかけることになり、自分の知らない間に罪をつくっていくことになります。おいしいお酒も気違い水にはしたくないものです。

 五、不妄語(ふもうご;「嘘をつかない」の意)

 私は人の心を殺したことはありません
 私は人の物を取ったことはありません
 私は人の心を取ったことはありません
 私は親の心をよく汲み取っていました
 私は誰よりも優しく
 私は誰よりも強く
 私は人には迷惑をかけたことはありません
 私は私一人の力で生きてきました
 私は感謝されるべき人間です
 私には間違いがなかったのです
                嘘付良男 五十歳

 人は自らの心を落ちつかせ、その心を素直に見つめた時、今まで嘘をついてきた自分に出会います。嘘は泥棒の始まりとはよく言ったものです。泥棒とは常に不安に怯(おび)え落ちつくところがありません。世の中の目まぐるしい変化の中で自分を見つめる機会は減る一方です。そんな中、真実の自己に出会うことなく生きることは方向を失った船のようなもろいものであり救いはありません。
 今真実の自己をみつめ、正しい自分の位置を把握し、そこを出発点として未来に進む力としたいものです。それには他人に対する嘘はもちろん、自分に対しても嘘をつくことなく、精進していきたいと思います。 

                                                             合掌

宝塔第346号(平成20年11月1日発行)