「宝塔」第367号
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慈悲とは

 この慈悲という言葉は、一言で説明をする事は大変難しく、広く大きく深く遠いものと言うしかありません。これを私たちの頭に解りやすく説明を致しますと、この世の中は自然の恵みの中に人も動物も虫も山川草木も、ことごとく助け合って生かされているものですから、慈悲とは、自然を人が大切にして尊び、語り合うことだと思います。人が生きて行く為には常に食べ物を取っていかなければなりませんが、この食べ物とは動物であり植物であります。お米一粒、野菜の菜っ葉一枚にも生命があり生きていたものです。ただ人が食べ物として栽培をしたり、養殖をしたり、大海に泳ぐ魚を取ったりして食しますが、お米でも人に食べられる為に実るのではなく、お米自身の為に繁殖をし、魚も自分たちの子孫繁栄の為に卵を産み稚魚を育てているのです。人間は他の動物たちよりも知能が少し進んでいるだけの事です。
 こうした私たちの生命の源になるものは全て生命を守って生きているのですから、こうしたもの達への感謝の心で常に拝んでいってこそ、他の動植物を活かす事になるのです。
 仏教では布施を教えていますが、私たちが隣の人に頂き物があったからと少し分けて持って参りましても、隣の方が、「私の家はこんなものは食べません」と断られると、持って行かれた人はどんな気がするでしょうか、嫌な気持ちになって二度と持って行かなくなり、隣との付き合いも悪くなるのではないでしょうか。そんな時に「まあ有難うございます、済みませんね」と喜び、何かあった時にはお返しをと思われますと、持って行かれた人も喜んで頂いた事で心が明るくなり、日頃あまり大した付き合いでもなかったのに、お互いが隣の方は良い人だと見方が変わっていきます。この様に一つの事の受け取り方で互いに明るくしていくのです。米でも、魚でも、何でも、あなた方のお蔭で私も元気に命を守って行くことが出来ますと、拝んで行く事が、米・魚・肉・野菜にしても、人間に食べられて、この人たちの中に私たちも生きて行く事になるのだと、喜んでくれるでしょう。こうした自然の中で、お互いに活かし生かされる事が、慈悲という言葉の意味になると思います。
 今はまだ使い捨ての風潮が残っていて、多少よい物でも少し気に入らないとすぐに捨ててしまいます。こんな事があまりにも多いので、ゴミが山のようになってしまっています。こんな事をしていると、最後には、世界中がこの地球がゴミに埋もれ地球が滅びる事にもなりかねません。遅まきながら、今、物に対してリサイクル出来るものは何とかしなければと慌てて、リサイクルをして出来るだけ再生出来る物をと努力しだしたのですが、なにしろ、あまりにもゴミが多すぎてお金をかけなければならない事から、ゴミの処理には進歩があまりありません。
 慈悲という言葉は、こうしたモノたちにも、心からあなた方のお蔭で幸せに生きることが出来るのだと感謝と尊敬の思いを持っていくことかと思います。
 人の思いやりのこころがすべての物を活かし、同時にその物たちによって我々も生かされているのです。
 ある奥さんが腎臓を患い、病院に入院されておられました。縁があってお見舞いに行きますと、ちょうど夕食の時で、食事が運ばれてきました。私は部屋を出ようと致しますと、奥さんは「かまいませんから、どうぞ、そこにいて下さい」とのことですので、私は食事をされるのを見ながら待っていますと、又こんなものと、ジャガイモをゴミ箱に捨てられて、付き添いの人に買って来て頂いたと思われるお寿司を食べてみえました。
 食事が終わると私に、
 「毎日ジャガイモの湯がいたものが出るのですが、少しえぐいので食べたことがありません」
 と話されました。私は黙っていようと思いましたが、
 「貴方は病院を早く出たいと思いませんか、医師は何と言ってみえるのですか」
 と尋ねますと、
 「腎臓は薬ではあまり効果がありませんから、食事療法しかないので、病院で出される食事で頑張る事ですとの事でした。こんな物は食べれませんから」
 との言葉でしたので、
 「貴方は生きてこの病院を出たくないのですか、このジャガイモにも生命があって、このジャガイモが私の生命の源であり、これが私の病気を早く治して下さるのだ有り難うございますと合掌していただくことです。今貴方はいとも簡単に貴方の生命の本をゴミ箱に捨てましたね、こんな事をしていたら何時まで経っても病気は治りませんよ。こんな人の為に見舞いに来ましたが帰ります」
 と申しますと、
 「少し待って下さい、このジャガイモがそんなに大切なものですか」
 と尋ねられましたので、
 「このジャガイモは人間に栽培されて育ち、人間に食べられてこそ成仏をして行くのです。それを簡単に捨ててしまうのは、このジャガイモを殺し自分もその罪によって死んで行くことになるのですよ、今貴方がされた事によって何時まで経っても貴方の病気は治りませんし、だんだん悪くなって行くことになるのです。貴方が早くこの病院から退院したければ、ジャガイモに対して、有り難うございます、あなたのお蔭で私も健康に成り、命を護ることが出来ます、と感謝の心を持って拝んでいただくことです。貴方は常に食べ物に対して好き嫌いがありますから、好きな物を食べられない病になるのですよ、本当に病気を早く治したいと思ったら医者の言葉に従ってどんな物でも食べることです。これが少しでも早く病を治すことになりますから」
 と話をしますと、
 「そうですね、このジャガイモには命があったのですね、今日まで私は食べ物に命があったとは少しも気付きませんでした、今日から拝んでいただくことに致します」
 と、涙を流して反省されました。二ヶ月程して私の所へお見えになりまして、
 「あれからどんな物でも拝んで頂く事にしましたら、お医者さんがびっくりされるほど病は良くなり昨日退院することが出来ました。あの時からどんな物にも命があって、それを私たちが頂いて自分の命を護って頂いていると思いますと、自然に頭を下げて食べる事が出来る様になりました」
 と言われました。「良かったね」と申しますと、「有り難うございます」と礼を言って帰られました。それ以後この方は健康で、どんな事があっても感謝をしながら常に頭を下げて暮らされる様になりました。
 私がいつも思います事は、食べ物は私たちの健康の源、生命の源であるから、少しぐらい味がどうでも、拝んで頂くことです。好き嫌いがあっても、こうした物たちの命を食べていると思うと感謝で心が一杯になります。これが人間の健康を護る一番の条件です。
 人と自然が共生しているとも言えるこの自然の恵みに感謝出来ない人は、常に不平や不足を言って、体が弱いとか、ここが悪い、ここが痛いとか言って、自分の事に捕らわれて一生を不幸の中に生きることになります。
 いつも主人のことで不足を言ってみえた人が、急に主人に先立たれて始めて主人が居られた時が如何に幸せであったか解りました。考えてみますと、主人は大切なお金の木でした。その事に早く気付いておればもっと主人を大事にしていましたのに、今更、後悔しましても何にもなりませんが、今は毎日、主人の位牌の前で線香を立てて拝んでおられる様です。常にある物がある時は、その物の有り難さが解りませんが、無くしてみて始めて、その有り難さが解ると言ってみえる奥さんもあります。
 人は病気になって、今までの健康である事の貴さを知るものですね。食べ物にも命があり、私たちはその命を頂く事によって自分の命を護っている事をよく知ることです。感謝してこそ、その命を護ることになりますから。

 慈悲とは、自然と人間との共生の中で、人にも物にも感謝を持つことが、慈悲であると思います。

                            合 掌

宝塔第367号(平成22年8月1日発行)