杉山辰子教祖三大誓願

  • 我閻浮提の太陽とならむ
  • 我煩悩をよく断ず
  • 我妙法を以て仏と成る

御略歴

 慶応4(1868)年7月28日岐阜県に生まれる。16歳の頃、不慮の災難により衰えた家運の挽回を願い、戸田伯爵の信奉する鈴木キセ師を大垣に訪ね、法華経信仰に出会う。

 25歳より約20年間、愛知県各地において法華経教義の研究と共に荒行を続ける。断食40余回、水行は50余回を数えた。水行中のある日に天耳より肉体的苦行の無益さを知った教祖は、法華経の弘通こそ仏のみ心であると悟り、深く観法の修行に入った結果、法華経の最高教理「事の一念三千」の真理を体得し、末法の大導師本化地涌の四菩薩の一人、安立行菩薩の大因縁を自覚する。

 大正3(1914)年秋、名古屋に大乗教の基礎となる仏教感化救済会を村上斎医師と設立。真に人々の救済を目的とする生きた仏教を指標して、人々の生活の中に入って教化活動を展開する。大正11(1922)年東京深川水害時には現地に急行して施米を、また、名古屋及び品川の生活困窮者数千名に対しても施米を行う。大正12年の関東大震災に際しては名古屋駅に救援所を設け連日炊き出しをする一方、米などの食糧を名古屋港から芝浦に送り罹災民の救援活動にあたる。また教えと医薬両面によるハンセン病患者の救済に挺身、各地のハンセン病専門病院を慰問・援助すると共に、自らも名古屋及び福岡生の松原に病舎を建設、困難な状況下にありながら難病治療に成果を挙げる。

 「人身に生を受けた喜び、妙法に遭えた喜びをもって、明日死んでも後悔のないという功徳の積める生活をして下さい」との言葉を遺訓に、昭和7(1932)年6月28日遷化。その生涯は一切衆生救済の精神に貫かれ、安立行の本領を示すものである。

 大乗教教祖杉山辰子先生についてより詳しく学びたい方は、『教祖杉山辰子先生-その御生涯とみ教え-』(大乗教総務庁発行)をお読み下さい。