「宝塔」第240号
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自行化他が仏の教え

 この世の中はその人によって全て運命が違います。なぜ違うのでしょうか?それはその人の心遣いの反映が運命だからです。

 「人は誰でも、求めること多くして与えること少し」

と言って相手に与えることを知らず、自分の幸せだけを頼って、求め続けるが故に苦しんでいるのです。

 信仰の世界でも、相手に与えることを忘れて、只いたずらに自分の幸せだけを求めて、むやみやたらと神仏を拝み、勝手な願いを叶えてもらおうとするだけでは真の幸福は得られません。

 己を正さずして他を変えようとしても変わるものではありません。自分が動こうともせず相手に命令するだけの怠け者は、人が動いてくれないだけでなく、やがて人に嫌われて孤独の世界へ追いやられてしまいます。

 教祖のお言葉に、

『神仏 道を説いても拝んでも
      わが行いにせずば 甲斐なし』

とあります。

 仏の教えを正しく理解して、真心を込めて実行し、他の人々を感化し、やがて自らも幸福になれるということであります。これを自行化他の妙法と言います。     

       欲が迷いをさそう

 ある奥さんが相談に来られました。

 「私は52歳です。56歳の主人と25歳の息子の3人家族です。私は信仰が好きで色々な宗教をお参りしています。主人は先祖からの仏教を守ると言って朝晩仏壇に向かって念仏を唱えてお参りをしております。
 町内では、夫婦揃って信仰心の篤い幸せな家庭だと言われていますが、実はそうではありません。主人は私の信仰を厳しく批判し、私の友達にまで嫌なことを言って妨害します。神や仏に逆らい宗教の批判をするとバチが当たると聞きますが、私はそれが恐ろしくていつも心の中で苦しんでいました。
 先日も息子が会社の定期検診で胸に黒い影があると言われ、今後の精密検査の結果によっては手術をしなければならない、ということでした。私はとうとう来るべき時が来てしまった。そのショックで食事も進まない毎日でございます。心配のあまり主人に息子の状態を聞きますと、ただ怒るだけで何も話してはくれません。息子に聞くと、お母さんに話しても無駄だ、お母さんは何をするかわからん人だ、僕の病気のことは放っといてくれ、と吐き捨てるように言葉も荒々しく相手にしてくれません。
 世間では幸福そうに見える私の家庭が、こんな状態にあることが悔しく、情けなく、淋しい思いの毎日です。こんな状態で、私はどうしたらよいのでしょうか」

というご相談でありました。

 「奥さん、家庭の幸福を願って信仰している自分は正しい、これに反対する者は不幸になる、これも理屈です。しかし、現実はあなた自身が不幸に成って困っているのではないでしょうか。
 仏様の教えでは、すべての人生問題は困る者の罪と説かれています。たとえ家族の幸福を願うことであっても、もしそれで奥さんが困るのであれば悟らなければなりません。悟りとは、仏の教えを聞いて、なるほど、と気が付いて仏の教えを無条件で実行することであります。
 奥さんの娘時代に戻って考えて見て下さい。教えでは、人の苦しみは迷いから生ずる、その迷いを誘うのは欲であると言われますが、わがままで欲の深い娘で親を苦しめたことはなかったでしょうか。
 結婚して、家庭の幸福を願う信仰者である奥さんが御主人や子供さんに対して喜んでいただけたでしょうか。
 人生には善いことをしても褒めてもらえない、認めてもらえないこともあります。徳を積んだのに幸福になれないと言っている人もいます。
 それは、その人に正しい悟りがないからです。悟りとは、真理に立脚した人生観に目覚めて、仏の道へ自分を運ぶということであります。
 相手に喜びを与えることを忘れ、正しい教えを知ろうともせず、ただ求めるだけの信仰は自己中心的で欲が深く、神仏の力を借りて今の不幸から逃げ出そうとするような怠け心は、やがて自分の思い通りにならないと不足に思い、愚痴をこぼし、怒りの心を発してますます運命を悪くしていきます。
 ただ念仏を唱え、お題目さえ唱えておれば、それだけで幸福に成れるが如き安易な考え方を取り除かなければ信仰をすればするほど迷いが生じて、周囲の人からも軽蔑され、嫌われてしまいます。
 尊敬される信仰者でないと、信仰の価値はありません」

 こんな話をしましたら、奥さんが話されますには、

 「私は20歳の春、父と意見が合わず家出をしてしまいました。気の強い私は町に出て職に就き、自由な生活をしてまいりましたが、ある日のこと、会社の先輩から宗教を勧められて、お参りをしているうちに両親を思い出しました。親不孝な私には、この先不幸なことが起きるのではないかと心配になり、不安な自分を慰めながら、自分が不幸にならないように心を込めてお願いの信仰に一生懸命で、両親や兄弟には何一つとして親孝行も喜びも与えていなかった、本当に悪い娘でありました」

と涙を流して反省されたのであります。

 「大乗教は年齢や家族構成で人の運命を判断する宗教ではありません。大乗教はお釈迦様がお説きになられました仏教であって、因縁を説く教えです。
 人間が日常に使う心や行いは、そのまま生活の姿に現れて来ます。これを実相と言います。
 仏様は『現在を知らんと欲すれば過去を見よ、未来を知らんと欲すれば現在を見よ』と申されております。
 娘時代に家出をして、両親に対して夜も眠れないような心配や苦しみを与えたことが、現在息子さんの病気という縁にふれて、その心配は母である奥さんの苦しみとなって現れているのであります。当時のご両親はどんなに辛かったかを知らねばなりません。
 家出をしたことが親不孝であったと気が付いたのなら早速ご両親に心から詫びて親孝行な娘となって親に安心を与える道を指導するのが正しい宗教であります。
 しかし、あなたの信仰は自分だけの幸せを求めて、将来の不幸を逃れようとする自己中心的な浅い考え方の信仰でした。それが間違っていたのです。その結果は、現在の奥さんの信仰を悉(ことごと)くご主人が反対し批判し、気違い扱いにされることになったと言えます。
 可愛い娘を思う親の心が理解出来ず、自分だけの幸せを願って身勝手な生活をして来たことが、家族の幸福を願う奥さんの信仰と先祖の宗教を守るご主人の宗教とが対立して、他人からは信仰篤き夫婦と思われながら、その内面はお互いに喜びがなく、競い合い、愚痴と怒りの毎日であった。だから可愛い我が子が胸に悪い一物を持った病気になり、やがては手術で取り除かなければならない結果になったと悟らなければなりません。
 どんな親不孝な娘でも親から見れば可愛い我が子です。あなたの今の苦しみを知ったご両親は『親思う心に勝る親心、今日の訪れ何と聞くらん』と泣き叫んでおみえになるでしょう。
 奥さん、今日からご両親を拝んで下さい。そして親不孝を懺悔して大乗教の教えを聞いて徳を積んで下さい。息子さんの病気もきっと良くなるでしょう」

とお話しをしました。

 懺悔して泣いた涙は、幸せになる道を得た喜びの涙に変わり、その顔は次第に晴れやかになって来ました。

 それから3ヶ月、息子さんの病気も治り、円満な生活が送れるようになったと喜びの報告を受けました。

 蒔かぬ種は生えぬと言われますように、種を蒔いたから芽が出てきたのです。将来の為に善い種を蒔き、善き因を作り安心の日々を得たいものです。 

合掌 

 

宝塔第240号(平成12年1月1日発行)