「宝塔」第311号
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 人生はささえられたり
 ささえたりして生かされている

 仏教童話より―

 ガンジス河の岸に森がありました。夏になると、その森赤く見えるくらい、とてもおいしいウドンバラの実がいっぱいになりました。森にはたくさんのオウムが住んでいました。
 オウムの王さまは、優しくて欲張りの心はまるでありませんでした。みんなも王さまに習って、いくら実が沢山あっても、貪り食べたりはしませんでした。少しずつ有り難く味わっていただきました。
 秋が来て、冬が来て、実がなくなると、木を枯らさない程度に、葉っぱを食べ、ガンジス河の水を飲んで、暮らしていました。けっして、よそへ行こうとはしませんでした。
 天の神さまの帝釈天(たいしゃくてん)は、それを見て、
 「ほかの鳥は、食べ物を求めてさっさとよそへ移って行くのに、なぜオウムは動こうともしないのだろう」と不思議に思って、神通力を使ってウドンバラの木を、すっかり枯れさせてしまいました。
 枯れ木は、葉を落とし枝が折れ幹は強い風に当たって穴だらけになり、木のくず粉をぼろぼろと下に落としました。それでもオウムたちは、木のくず粉をついばみながら、ガンジス河の水を飲んで、飢えをしのいでいました。 
 それを見た帝釈天は、白鳥に姿を変えると、その森へ行って、王さまのオウムに話しかけました。
 「くだものの実が赤く熟れる頃には、たくさんの鳥たちが集まってきて、我先に食べるのに、それが無くなってしまうと、当たり前のように、みんな何処かへ飛び去ってしまう。寒さに強い私たち白鳥も、冬になると暖かい所を求めて、移り住む習わしになっている。ほとんどの鳥がそうだが、あなたたちは、どうしてここにじっと留まっているのだね」
 オウムの王さまは、ニコニコしながら答えました。
 「それは当たり前ですよ。私たちはこの森の木から、おいしい実や葉をたべさせてもらい、枝で寝させてもらい、毎日仲良く話し合いながら、暮らしてきました。言わば、生き死にを共にする、喜びも悲しみも共にする切っても切れない友達です。
 この森によって、今日まで生かさせてもらったご恩を思うとき、木が枯れてしまったからといって、私たちはこの森を見捨てて、何処かへ移って行く気になどならないのです」
 「素晴らしく、美しい友情だ。私はすっかり心を打たれてしまった。有り難う。何かお礼に贈り物をしたいと思うが、何なりと言ってくれるがよい」
 「もし、贈り物をくださるのなら、私たちは何もいりませんから、出来ましたら枯れかかっているこの森の木を、元通りに生き返らせて頂けたら、それに越した喜びはありません」
 「よしわかった、お安い御用です」
 そう言うと白鳥は、帝釈天の姿にもどり、ガンジス河の水を汲んできて、何杯も何杯も枯れかかっている森にそそぎかけました。
 すると、みるみるうちに森は緑をよみがえらせ、葉が茂り、おいしそうなウドンバラの赤い実が、一杯になりました。オウムたちの喜びは、どんなだったでしょうか。言うまでもありませんでした。
 帝釈天は、しみじみと言いました。
 「生きものは、生かされているものすべてが、こんなつながりを持ちたいものであるな」と。

 生かされるわたしたちと仏さまとのつながり
 
 ある日、ご婦人がお参りに来られまして、
 「生かされる私たちと、目に見えぬ仏さまとの、つながりほど尊いものはございません。わたしは、仏さまは生きておいでになり、わたしたちを常に守っていてくださると、心から嬉しく思い感謝し、このご恩に報いる今日一日でなければならぬとつくづく思い、ご守護の嬉しさと感謝の心で一杯なのでございます」と申されまして、次のことをお話しになりました。
 
 この前の日曜日のことでございます。
 早く届けなければならない急ぎの仕事がございまして、その仕事は、細かい神経を使う仕事で、せっかくの日曜日なのにと、いらいらしながらやっておりますと、鼻から手の甲に一滴、生暖かいものが落ちてまいりました。見ると、それは真っ赤な血でありました。
 鼻血が出たなと思って紙で拭(ぬぐ)いますと、ぽたぽたと落ちてきまして、手拭いでおおいましたが、次から次へと血が出てまいりまして止まらないのです。
 これは大変と近くにいる息子に電話して来てもらいました。息子が早く医者に行かねばと行き付けの医者に行きますと、先生がいなくて、どうしょうと思いましたが息子が市民病院へ行ってくれまして、連絡いたしますと当直の先生でなく、耳鼻科の先生が丁度おられまして、診てあげようとおっしゃってくれて、診て頂くことが出来ました。
 診察室に入りますと、先生と看護婦さんが同時に、
 「あなたは運がいいね、こんなことは不思議だ」とおっしゃいました。
 「どうしてですか」と申しますと、先生が「今日は僕は休みなので家にいたのですが、何だか病院へ行ってみねばと思えてしかたがなかったので、来てみると、あなたが来られて、あなたの診察に来たようなものだなあ、不思議だなあ」とおっしゃって、ていねいに診察してくださいまして、出血は止まりました。
 そして、大きな皿を持って来られて「これに、たんを吐くように、ごほんごほん、と言って出しなさい」と申されましたので、言われた通りにしますと、喉から血のかたまりが二つ出てきまして驚きました。
 すると先生が「あなたは、血を飲んだでしょう。この血が胃で固まると癌になりやすいのですよ、よかったですね」とおっしゃいました。
 先程の話を聞いて、私は思わず「ありがたい、ありがたい」と先生を拝みました。
 「この人は、おもしろい人だなぁ。『ありがたい、ありがたい』と言って、何がありがたいのですか」と先生がおっしゃいますので「先生に会えたことが、ありがたいのです。先生が仏さまのように見えるのです。ありがとうございました」と申しますと、先生は「おもしろい人だなぁ」と笑っていらしゃいました。
 お蔭さまで今では、すっかりよくなって、仏さまのご守護のお蔭と生かされる身のありがたさに、人生の尽くし尽されるきずなを悟らせていただき、仏さまとの切れないきずなに支えられて生かされているのだと感謝させていただきます。
 考えてみますと、はじめの病院がお休みであったことがありがたく、市民病院で休みであった専門のお医者さんがふっと来てくださって、そこへ、わたしが行かさせていただきましたことは、一分でも差があれば会えないのに、その出会えたことが、仏さまのお力と喜び、感謝させていただきます。
 業の深い私のような者に、仏さまの方から手を差し延べて支えて下さっていることを思うと、ありがたくて心から感謝しお礼を申し上げ、一層の精進を誓わさせていただきます。
 人生は、見えない尊い力で、支えられ守られていることを感じる時、心から合掌し、ご恩に報いる行いに精進する今日でありたいと願っております。

合掌

宝塔第311号(平成17年12月1日発行)