臥龍山に遷座された龍王殿(H18年5月撮影)

龍王殿由来

 慶応四年戊辰七月、美濃笠松に生を享(う)けられた教祖杉山辰子先生は、三十四歳の時、阿久比町矢高にお移りになり、丘陵うねるこの地をが臥龍山(がりゅうざん)と命名、開墾に励まれると共に水行・断食・経義の研究に専念されました。やがて布教救済の活動に立たれるや、青少年の修養を目的に再びこの地において農作業に従事されました。
 昭和三年戊辰三月、鬼崎村の八木竹治郎氏より安立行菩薩(あんりゅうぎょうぼさつ)の守護神たる龍神を祭る祠堂(しどう)の寄進を受け、花の盛りの四月初旬には近郷近在の人々を招いて大祭を厳修。教祖没後は阿久比町の水野初蔵氏が手厚く堂を守られ、後年、大乗教に寄贈奉納されました。
 昭和六十三年戊辰五月、新改築を施し参拝祈願しておりましたが、このたび頌徳碑(しょうとくひ)建立を機縁とし、ここに遷座(せんざ)いたします。いくつのもの出来事が歳月を隔てて戊辰(つちのえたつ)の年と巡り合えたことに深い縁(えにし)を感じます。戊辰は地徳を表(あらわ)し、あらゆるものを受け入れ健(すこ)やかに育(はぐく)む性質をもちます。すべての人に大地のごとき揺るぎなき繁栄あらんことを祈念いたします。

龍王殿参拝の功徳

 大乗教では、安立行菩薩(あんりゅうぎょう・ぼさつ)の守護神としての龍神(辰)を礼拝対象とします。辰は古来農耕社会において雨を降らす霊的存在として信仰を集めてきましたが、大乗教教祖杉山辰子先生は独自に地徳(じとく)の象徴として信仰なさいました。地徳とは万物を生み、育成する(生育・実り・収穫をもたらす)大自然の働きのことであります。
 安立行菩薩の眷属としての自覚をもって日々誠実に教えを実行し、杉山辰子先生ご招来の龍神に祈りを捧げる善男子・善女人には必ず安産・良縁・学業成就・商売繁盛といった利益(りやく)が授けられるのであります。

ご祈願について

臥龍山にたなびく安立行旗
守護神符を結ぶ祈願所

龍王殿遷座を機に「守護神符」の授与と安立行旗(祈願旗)の受け付けを開始いたします。祈願をなさりたい方はお近くの大乗教教会・支部にご連絡ください。また、下の申し込み用紙(PDF)をダウンロードして頂き、必要事項をご記入の上、直接総本山事務局に郵送して頂いてもけっこうです(守護神符については資料をよくお読み頂き、必要枚数をお知らせ下さい)。

守護符(しゅごじんふ)の案内書(PDF)

安立行旗(祈願旗)の申し込み書(PDF)

頌徳碑の意義

大乗教教祖杉山辰子先生ご修行の聖地・臥龍山と頌徳碑建立の意義

 教祖杉山辰子先生が知多半島へお移りになられたのは明治三十四年のことでした。それまでの九年間、名古屋の日蓮宗僧侶・名倉順慶師のもとで法華経を学んでおられましたが、さらなる道を求めて臥龍山(愛知県知多郡阿久比町)に農事小屋を建て、ご家族の方々と開墾に励まれると共に、水行・断食の日々を過ごされました。
 杉山先生は愛知医学校に奉職される村上斎先生と邂逅(かいこう)され、この地でお二人は今までの修行に加えて経義の研究に努められました。この勇猛精進が白川で実を結び、大正三年、仏教感化救済会が発足いたしました。
 臥龍山は古来より伝わる地名ではなく、杉山先生によって命名されたといいます。山の形から眠れる龍(臥龍)を連想されたとしても、それだけが名の由来とは思えません。今はこの地を仮の住まいとしつつも、やがては天に向かって羽ばたいていきたい。そんな志を胸に秘めて名づけられたのでしょうか。会の設立構想はこの地におけるご修行の頃に始まります。きっとそのような思いを抱(いだ)かれていたことでしょう。
 今日、その地に足を運ぼうとも臥龍山を見出すことはできません。土地改良事業が完了し、なだらかな丘陵と豊かな水田が広がるばかりです。それが教祖様が思い描かれた理想の風景としても、ご遺徳を偲ぶ私共にとって一抹の寂しさを禁じえません。
 このたび我が教団はご修行の地に、杉山先生のご事蹟を後世に伝えるため頌徳碑の建立を祈願いたしました。臥龍にこめた杉山先生のお心を汲んで、私共は一層の飛躍を遂げていきたいと願っています。

頌徳碑建立

教祖聖地・臥龍山(がりゅうざん)頌徳碑(しょうとくひ)完成

除幕式

杉崎法涌管長猊下による除幕の様子.

 4月23日(日)、教祖御聖地《臥龍山》において『龍王殿遷座並びに頌徳碑除幕式』が執り行われました。
 午前10時、龍王殿の前にて杉崎法涌管長猊下をご導師に宣教師の諸先生方参列のもと、法要が営まれました。読経の途中、管長猊下をはじめ宣教師、来賓の方々による献花が行われました。同時に信徒参拝所では多数の御信徒による焼香の列が連なりました。
 読経の後、感謝状授与。御聖地建立の工事に携わられたウッドストン山田石商代表取締役・山田貞氏、そして御聖地の整備に尽力された常滑教会御信徒・竹内菊冶様のお二人に管長猊下より感謝状が手渡されました。
 来賓挨拶として、元阿久比町町会議員議長の新海正佶様に登壇していただきました。丸正不動産代表として御聖地の土地取得にあたり奔走して下さったのが新海氏。よき御縁をいただき光栄に存じますと感激をもって御挨拶されました。つづいて管長猊下が登壇。「教祖様がもっとも愛され長く住まわれた地に頌徳碑を建立でき大変喜ばしく思います」と挨拶されました。龍王殿遷座については、教祖様がお生まれになった戊辰の年の節目ごとに祠堂の寄進、新改築が行われており、目に見えない大いなる因縁を感ずるとのべられました。
 祝杯の儀の後、村川四十八様はじめ七名の方によって矢田万歳の奉納が行われました。代表の村川氏はこの道六十年余の経験を積まれ、常滑市の無形民俗文化財に指定。ご幼少の頃、教祖様と御縁を結んでおられます。
 龍神のなせる業(わざ)か早朝より雨雲がひろがり、式典途中は時おり小雨がぱらつく天候。しかし、日程が終了する十一時半頃には傘がたたまれ、宣教師退場後、多数の御信徒が列をなして参拝、めいめい記念撮影をして帰途に着かれました。

【来賓お名前】
◇元阿久比町町会議員議長、新海正佶様
◇常滑市市会議員、村上道明様
◇常滑市矢田区長、村上興八様
◇常滑市矢田工区長、皆川幸三様
◇村上モータース、村上政道様
◇元祠所有者、水野博行様
◇ウッドストン山田石商代表取締役、山田貞様
◇常滑教会御信徒、竹内菊冶様

小雨の中、聖地横特設会場に参集されたご信徒.
式典に賑わいを添えた地元矢田漫才の皆さん.

開運大護摩供養

臥龍山開運大護摩供養厳修のご報告

 平成18年12月24日教祖聖地臥龍山境内において、開運大護摩供養が執り行われました。当日は12月末とは思えない暖かな陽気で、雲一つない青天に恵まれ、早朝より約400名の御信徒が臥龍山に集いました。
 朝10時半、管長猊下以下30名の宣教師が着席。龍王殿で採火された灯明が宣教師によって護摩壇前に運ばれました。その灯明を使って管長猊下が護摩壇に点火。瞬く間に朦々たる白煙が涌き出で、炎の柱が天に向って立ち上りました。
 全員による法華経読誦の続く中、式典部員によって御信徒から寄せられた護摩木が次々に燃え盛る浄火に投げ入れられました。折からの風に乗って炎と煙はまるで生きた龍の様に、安立行旗が林立する龍王殿に向って駆け昇って行ったのでした。その様子を目に焼き付けながら、参集した御信徒は来るべき新年も教祖杉山辰子先生に必ず守護されることを確信し、心願成就の為益々精進していくことを誓ったことでありましょう。
 尚、平成19年4月22日に同じく臥龍山において「臥龍山龍神祭」を再興することが総本山において決定されております。昭和初期、教祖杉山辰子先生は桜の咲く季節に臥龍山において大祭を執り行っていたことが教団の資料に残されています。聖地臥龍山が定まった今、教祖御自ら行われていた龍神祭を復活させることは教祖の教えを継ぐ私共の使命とも言えます。龍神祭では臥龍山頌徳碑除幕時より皆様が御祈願を掛けられている「守護神符」ならびに教団が授与した古札のお焚き上げも執り行いますので、数多くの皆様のご参集をお願い申し上げます。

                                                       合掌