むかしむかしのお話です。清らかで美しい姿の女性が一軒の家の前に立ちました。その家の主人は驚き、目を見張って、これは天女が降臨(こうりん)したのかと喜んだ。
「あなたは、一体どなたですか。」
「私は、福の神です。私の行く処、そしてとどまる処の者たちは、財産・名誉・健康など、すべてに恵まれます。」
主人は早速、福の神を中に入れ、さまざまな供物を捧げて丁寧にもてなしをした。
そうしていると、戸口にまた一人の女性がやってきた。その女性は福の神とはうって変わって、二目とみられない醜い姿で、着ているものは粗末で下品で塵や垢にまみれている。そればかりか、顔といわず手といわず、皮膚の色艶(いろつや)は青白くなっている。なんとも言いようのないほどの醜い女性が立っていた。
「おまえは誰だ。」
「私は貧乏神です。私のいく処、とどまる処には不幸が続く。あらゆるものはすべて無くなります。」
すると主人はびっくりして追い立てた。
「早く出て行け。ぐずぐずしてると命はないぞ。」
「これはまた愚かなお方もあるものです。」
「私が愚か?なんだ、愚かとはなんだ!」
「先程こちらへ伺いました女は私の姉です。私はいつも姉と行動を共にしています。もし私を追い出すのならば、姉の福の神も追い出すことになりますよ。」
主人は何がなんだか、さっぱり訳がわからなくなってしまった。とにかく福の神に聞いてみることにした。
「今、戸口に一人の女性が来て、あなたの妹だと言っていますが、それは本当ですか?」
「それは確かに私の妹です。私たち姉妹はどんな時でも、なんの事でも行動を共にしております。離れることはありません。姉の私は善をなし、妹は悪事をなすことになっています。もし、私を愛して下さるのならば、妹も共に愛して頂かなくてはなりません。」
主人は、ためらったものの、この美醜の姉妹を追い出したのである。そして、その家は次第に廃(すた)れていった。
姉妹は、今度はある貧家を訪れた。貧乏な家の主人は喜んで二人を迎えた。
「どうか末永く私の家に滞在してください。」
三人は共に暮らし、この家は次第に恵まれていったといいます。
福の神とは『生』であり、貧乏神は『死』である。凡夫は、生きることに執着し、死ぬことを恐れる。だからこそ人生の大切さがわからなくなっている。
生まれた以上は、死を迎えねばならないことは当然である。それを受け入れてこそ、本当に人生を有意義に生きることが出来るのではないでしょうか。
人生には、楽しいことも辛いこともあるのです。共に受け止める心を養うことが、真の幸福をつかむことになるのです。
ある娘さんが嫁がれ、その家族と同居生活をおくっておりました。とても良いお嫁さんと、近所の方々から褒められておりました。しかし実際には、その家庭の中は上手(うま)くいってはおりませんでした。
ご主人に怠け癖があり、少しも働こうとはしません。もちろん夫婦の仲も悪くなっていきます。ご主人の両親からは、嫁が来てから息子が悪くなったと言われ、さんざんにいびられたのでした。何度となく実家へ逃げ帰ったのですが、離婚することは許されませんでした。
なぜ離婚できなかったのか、その理由が後になってわかったのです。それは、仲人が娘さんの結婚を利用して、仲人自身の借金を帳消しにするという取引があったからです。苦しんだ末に、私のところにやってみえました。一部始終を聞いた私は、お嫁さんに向かって尋ねてみました。
「ところで、あなたの娘時代は、どんな生活をしていましたか?」
「私の父親は病弱で早く死にました。苦しい生活の中で、私も我儘(わがまま)を言い、人の道にはずれたこともありました。そういうことでは、ずい分と母親に苦労をかけたと思います。
何か事があると、母親から『おまえなんか、早く嫁に行け』と、捨てゼリフにように言われていました。それを仲人が聞きつけて、自分たちの借金のカタに、私を利用して結婚させたのです。」
段々と声が怒りに満ちてくるのが分かります。しかし、それをなだめるように、私はこうお話をしたのです。
「あなたの気持ちはよくわかりますよ。そんな理不尽(りふじん)なことをされて許せるはずがありませんね。その上に、ご主人がその様な人では救われないという気持ちになるのも仕方ありません。でも、こう考えてはどうでしょうか。」
私の言葉に、お嫁さんは少し気持ちが楽になったのでしょうか、こちらをゆっくりと見られました。
「あなたはずっと気儘(きまま)な生活をして、その上、母親に不平不満をいだき逆らい続けてきましたね。
自分の幸せだけを願っていても、決して願いは聞き届けていただけるものではありません。仏さまは『もし自分が幸福になりたいと思うならば、まず自らを反省し、次によく相手を知り、自分よりも相手の方が幸せになるようにしなさい。さすれば必ず自分も幸せをつかむことが出来る』と教えてみえます。
だから今日からは考え方を変えて、たとえどんな家族であろうと、自分だけは決して人の道は外さない行いをしようと心に決めて下さい。ご主人には素直なやさしい妻となり、姑には可愛がられる嫁になろうと努力して下さい。
もしくじけそうな時は、お母さんのことを思い出して下さい。『母は私のせいで、今私が受けている苦しみや悩み以上に苦労してきたんだ。本当に申し訳なかった』と悟って懺悔して下さい。そして、この『宝塔』の本を読んでは、心を引き締めて努力して下さい。きっと幸せの芽が出てきますよ。頑張ってみましょう。」
お嫁さんは、うなずかれて言われました。
「大変かもしれません。けれど今日からやってみます。努力してみます。」
心に決められて、帰って行かれました。
それからのお嫁さんは、決して不平不満を言わず、どんなことにも一生懸命に努力をされました。家族からはあいも変わらず、お手伝いのような扱いを受けていました。しかし迷うことはなかったのです。
そんなある日、他家に嫁いだご主人の妹が遊びに帰ってきました。妹さんは、自分の親にさんざん嫁ぎ先の両親の悪口を言っている。特に姑を罵(ののし)っているのです。
「私が何を言っても、あの姑は何一つ言わないのよ。本当に気楽な人よ。・・・」
まるで自慢している様に話す妹。この姿を見た母親、そう、この息子のお嫁さんにとっての姑さんは、ハッと気がつかれたのでした。
「うちの娘はなんて出来が悪いのだろう。どうして尽くすことが出来ないんだろう。本当に姑の気持ちが分からないんだろうか。
娘と変わらない歳なのに、うちの嫁は文句を言わずにやってくれている。嫁として頑張っているんだ。」
お嫁さんの努力を認められ、段々と感謝される姑さんに変わっていったのです。そして、いつの間にか、お互いにいたわりあえる様な嫁姑の関係になっていき、幸せな生活を送られたのでした。
禍(わざわ)いだからといって逃げだしてはいけません。幸(さいわ)いだけを追い求めるのは間違いです。禍福(かふく)を共に受け止めて正しい努力をすることこそ、苦難を乗り越え、人生を真に幸福へと導いていく道なのです。
合掌