お釈迦さまのお生まれになったところは美しいところです。現在ネパール王国、南タラーイ盆地と申します。明るい太陽が微笑(ほほえ)むのどかで静かなたたずまいです。
インド国境に近く、その誕生の地は四大仏跡の一つで有名なルンビニー園です。インド側から国境を通ると町が村となりそしてちょっとした林があります。道の両側に小さな田圃(たんぼ)がずっと並んでいます。遠くに森や林や部落も見え隠れします。この地方は割合に湿気が多く沼などが所々にあり稲作に好適の所であると聞きました。純日本風で温泉もある法華ホテルではくつろぐことが出来ました。
また新しく出来た道路を通って入口近くまでいきますと道路工事中で少し歩いてまいりました。マーヤ堂は(白亜(はくあ)の摩耶夫人祠堂(まやぶにんどう);ルミンデー寺院)、現在発掘復元工事中で復元まであと数年かかるとのことです。摩耶夫人像は入口の右手の建物の中に安置されていました。
摩耶夫人浴地も、四方がきれいに整備されレンガも赤茶色に塗られて何か変わった感じがいたしました。でも阿育王(あしょかおう)石柱はそのままで何かしらホッとしました。この石柱は今から百年ほど前に地下3メートルの所に埋没していたのをフユラール氏に発見されたものです。高さは9メートル、地上2メートルのところに「カローシュティ文字」の石柱詔勅が刻まれています。
「阿育王は、即位二十年親しくこの地を礼拝す 釈迦牟尼の誕生の地なればなり」(*巨大な石の像と石柱を建てて仏陀がこのところで誕生せられたことを示す。)
「ルンビニー村の租税を免ず。ただし生産高の八分の一を納むべし」
この石柱は落雷のため中折れしたもので現在は三ヶ所が鉄環(てっかん)でしめつけてあり、二重の鉄柵で保護されています。敬虔(けいけん)な信者がその柵に彩り鮮やかな布ぎれを数多く垂れかけているのが印象的です。
この石柱は上に馬の像がありましたが中折れした先の部分と共に地下か池の中に埋もれているかもしれないとのことです。石の材質はインド大仏と同じチュナールストンと聞いて、昔この石をどのようにして運んできたのか想像し夢は膨らむばかりです。(*チュナールはベナレスの近く。)また近くから運んだのかよくわかりません。
誕生の時七歩あるかれたというレンガの基壇はそのままにございますし、池の横の菩提樹も更に大きくなっていました。
さて福田についてですがルンビニー園付近はのどかな田園風景です。およそ100平方メートルか、200平方メートル(30坪か、60坪位)ほどの田圃が道の両側に幾重にも並んでいます。幾百枚、いやもっと沢山で数えることが出来ません。
お釈迦さまが故郷のカピラの城について述べておられます。
「城内の庭園には、青蓮華、紅蓮華、白蓮華が植えられた蓮池があった。良い香りのするカーシー産の栴檀(せんだん)香をつかい、またカーシー産の被服内衣を身に着けていた。
散歩するに暑さ寒さ、夜露がふれぬよう白い傘が常にかざされていたし、三つの宮殿、冬のため、夏のため、雨季のためのもの特に雨季の四ヶ月は決して宮殿から降りたことはなかった。
他の家では奴僕(どぼく;ダーナ)、傭人(ようにん;カンマカーラ)、使用人(ボーリサ)にはくず米の飯に酸っぱい粥(かゆ)をそえて食べさせていたが、父は奴僕・傭人・使用人に白米のご飯と肉との食事を与えていた」 お釈迦さまのお父さんは情け深いお方で浄飯大王(スッドーダナ:スッダというのは”清らかな”、”純粋な”、”混じり気がない”という意味;オーダナは”米飯”の意味)、また王の兄弟は甘露王(アムリダオーダナ)、白飯王の名の如く一族が稲の耕作を行っていたと思われます。 広々とひろがる水田や畑を見て、この地方にお釈迦さまの時代からずっと稲作が続いていたと思われ嬉しい気持ちです。そこで福田の教えを思い出したのです。 福田とは福徳を生み出す田。幸福を育てる田畑。人々の幸福の種を蒔かれる田、福を生ずる基。幸福の因となるものです。三福田は次ぎの如くです。
- 敬田
仏や僧など敬うべきもの
- 恩田
父母や師など、恩に報いなければならないもの
- 悲田
貧者、病者など哀れむべきもの
次ぎに八福田です。福を植える八種の因です。
1 仏田(ぶつでん)
仏を福徳を生ずる田地に譬えました。最高の田圃です。ここに種を蒔けば無量無辺の広大な功徳がございます。
2 聖人田(しょうにんでん)
聖人とは大乗の神通を得た大菩薩のことです。教祖様の田圃です。この教祖様の田圃に種を蒔けば大功徳がございます。二千倍の功徳です。
3 和尚田(おしょうでん)
和上とも申します。大衆の師たる高徳な僧。また弟子をとる資格のある者。具足戒を授ける師。この和尚田に種蒔けば二千倍の功徳がございます。
阿闍梨田(あじゃりでん) 師、先生、師匠、教授すべき徳の高い僧、正行とも申します。この阿闍梨田に種蒔けば二千倍の功徳となります。
4 僧田(そうでん)
教団、和合衆、僧伽、サンガ、比丘、比丘尼の団体、五人以上の比丘が集まって修行する仲のよい和合僧。この教団に種蒔けば二千倍の功徳です。
5 父田
お父さんの田圃によい種を蒔いて下さい。親孝行する人は千倍の功徳となります。先祖に感謝して供養する人も同じ功徳がございます。
母田
お母さんの田圃に種蒔けば、お母さんを喜ばせ安心させ大切にする人は千倍の功徳となります。海よりも深い母の恩に報いなければなりません。姑さんを大切にする功徳も同じ功徳です。世の中で不幸な人は親不孝な人が多いようです。
亡き親に手向(たむ)くる徳は 利と敬と行の三つを 兼ぬべかりけり
親には一日三度 笑って見せよ
6 病田
病人に対する慈悲は無量の果報があります。この病田に種蒔けば千倍の功徳となります。
7 貧田
苦田とも申します。貧しき人を助ける功徳は、千倍の功徳となります。情けは人の為ならず、まわりまわって己が身の為と申します。
貧しきを 恵み つらきを いたわりて なお法(のり)の道 とき聞かせなむ
8 畜生田
各種の動物を哀れみ、大切にし餌などを与えます。傷ついた動物を手当てしたり、病を治したり助けます。畜生田に種蒔けば百倍の功徳です。亀を助けた浦島は龍宮城に行きました。
スメーダ(善慧)という青年が、ランマの都に来て、思わず目を見張った。あらゆる人々が最高の興奮に沸き立ち歓喜が満ちている。どうしてかと尋ねると、 「燃燈仏(ねんとうぶつ)がお弟子たちと一緒にこの都においでになるので、私たちは供養させて頂く有り難さに喜んでいるのです。町を飾ったり、道路をなおしたり、家々を掃除しているのです」 「そうですか。それでは私にもぜひ働かさせて下さい。供養させて下さい」 と大雨の後の道の修復を手伝いました。しかし道がなおりきらないうちに、燃燈仏の一行が見えました。三十二相、八十種好、金色に輝く仏を拝み、スメーダは水溜りの泥の中に身を伏せて、 「仏様、どうか私の背中を、頭を踏んで渡って下さい」 結んでいた髪をほどいて道に敷き、 「この上にもおみ足をどうぞ」 と叫んだ。燃燈仏は背中を踏んで頭の上を踏まんとした時、 「この捨身の若者、未来世において仏になるであろう。ゴータマ・シッダールタ(釈迦牟尼仏)という尊い仏になるだろう」 とはっきりとお告げになった。そのスメーダこそお釈迦さまなのです。仏田に種蒔きをなさったのです。その仏様が、 如来に対する報恩は、未だ法を聴かない者にこの教えを伝えてほしい。それが如来に対する報恩だ
と仏田に種蒔くことを教えておられます。
合掌
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