「宝塔」第237号
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忘れやすい『おかげさま』

人は何のために生まれてきたのでしょうか。

そして一生のうちに、人は何をしなくてはならないのでしょうか。

 私たちは、誰しもが幸せになりたいと思っています。それを目標にして毎日を働き続けています。しかし中々思う様にはいきません。なぜでしょうか。

 こんな時、少しだけ見方を変えてみましょう。

 私たちは、なぜ働くことができるのでしょうか。自分の身体があって、その身体が健康であるからこそ働けるのではないでしょうか。

 私たちは、両親を縁としてこの世に生まれることが出来たのです。ですから、父親や母親の存在を、心から感謝しなければいけません。

 しかも、親というものは、自分自身の事を忘れてまでも、子どもを可愛がって育ててくれます。たとえ子どもが一人前になっても、親は自分の老いることさえ忘れて、子どものことを思い巡(めぐ)らして下さるのです。子どもの幸せと健康を一心に願いながら、育ててくれたのです。

 その親の思いに気がつかずに、子どもというものは、自分たちや自分たちの子どもの事だけに夢中になっています。おのが幸せと安楽を求めて、気儘(きまま)に毎日を過ごしている。こんな生活をしていれば、本当の自分たちの、生きるべき道を忘れてしまいます。

 

 今から五十年ほど前に、こんな家族がありました。

 ある農家の長男に嫁いだ一人の奥さんがみえました。そこには、気性の強いおばあさんと、働くだけで家のことは何もしない親夫婦。多くの兄弟・姉妹たちの面倒をみながら、自分たちと子どもの生活を懸命に送っておりました。

 でも中々幸せにはほど遠い毎日です。悩みぬいたあげくに、お寺に行ってみたり、氏神さんにお百度参りをしてみたりしました。

 ところが一向に変わりありません。他人に勧められて或る宗教に入りましたが、今度は夫婦仲が悪くなる始末。嫁として孤独になって、苦しみはひどくなるばかり、毎日が地獄の様な生活になってしまいました。

 そんな中、ふと縁にふれたのが大乗の教え、妙法の教えでした。誘われるままに法座にでかけました。そこで聞いたお話が、この奥さんには信じられなかったのです。先生は、

 「人間は、みずから孤独を好んではいけません。しかも皆さんと争うことなどもってのほかです。仏法を信仰するということは、家庭を円満にして、生きる喜びを味わい、毎日を楽しく生活することです」

というお話をして下さったのです。今までの願えばいい、頼めばいいというお話ではなかったのです。

 講演が終わってすぐに、奥さんは先生に尋ねました。

 「先生、どうしたら幸せになるんでしょう」

 「あなたは自分たち夫婦と、自分の子どもの生活ばかりを考えている。いつの間にか家族のみんなに不満を持ち、憎いとさえ思ったこともあるでしょう。

 考えてみて下さい。今のこの生活を、もしあなたのご両親が見たとしたら、きっと安心はできないでしょう。今あるのは、多くのご先祖や親があったからこそです。だから、その思いに報いる様に、毎日を感謝して生活して下さい。そして家庭を円満にする様に、みんなの接着剤になるよう努力して下さい」

 教えられた通りに実行に移してみました。でも中々思う様にはいきません。くじけては考え直しを繰り返す毎日です。

 その中でも特に大変だったのは、おばあさんの面倒です。年老いて思う様にならない身体。特に大小便の後始末は全部この奥さんがしなければいけません。

 たまらない思いで、先生に尋ねてみると、

 「あなたもいずれは歳をとっていきます。すると、きっとそのおばあさんと同じ姿になるでしょう。それをそのおばあさんが身をもって教えて下さっているのですよ。

 だからこそ、その姿になりたくないと思うのなら、

『わたしの業(ごう)を消滅させていただける』と精魂こめて尽くしてみて下さい。きっと良くなりますよ」

という答えが返って参りました。

 奥さんは。姑さんと力を合わせて、懸命におばあさんに尽くしました。半年後、おばあさんは眠るように大往生されました。一所懸命に尽くされた奥さんは、清々(すがすが)しい気持ちで一杯でした。

 ふとその時に初めて、先生に教えられた言葉が浮んで参りました。

 「あなたは自分たち夫婦と、自分の子どもの生活ばかりを考えている。いつの間にか家族のみんなに不満を持ち、憎いとさえ思ったこともあるでしょう・・・」

 奥さんはその時、教えの深さに気付かれたのです。

 それは嫁いで来た頃に、徹底的に嫌ったお義姉(ねえ)さんがいたのです。大乗の教えに縁をいただいた頃にはもう亡くなってしまわれたのですが、その方を憎んだ自分の間違いに、この時初めて気がつきました。

 『妙法の教えに誤りはない』と確信された奥さんは、何とかして、そのお義姉さんのために供養がしたいと思いました。そして思い切って、自分がお嫁入りをした時に持ってきた大切な着物を売って、お義姉さんのために追善菩提を弔(とむら)おうと供養したのです。

 すると不思議なことに、総本山の大梵鐘(ぼんしょう)完成の日、その夜に、お義姉さんが夢枕に立ったのです。そして静かに「ありがとう」と、奥さんに合掌されたのでした。

 奥さんはこの体験を通されて、なお一層妙法の信仰に精進することをお誓いされました。

 それからは、苦しい生活の中にも喜びを見つけ、家族の円満を第一に考えて努力されました。

 

 二十年が経って、今度は姑さんが他界されました。

 家族に迷惑をかけることなく、静かに息をひきとっていかれました。その時に奥さんは、おばあさんの事を思い出されたのでした。

 「うちのお姑さんも私も、あの時におばあさんの面倒を一所懸命にみさせて頂いたおかげだ。もし不足に思ったり、愚痴を言って恨んだりしていたら、私たちが同じことを繰り返していたに違いない。おばあさんが私たちの業を消滅させて下さったんだ。おばあさん、お姑さん、本当にありがとう」

 奥さんは、おばあさんと姑さんに、心から手を合わせて感謝いたしました。そして毎日を喜んで精進され。妙法広宣流布にはげまれました。

 数多くの体験を積み、なお一層に精進を重ねられ、奥さんも、やがて「おばあさん」と呼ばれる立場になりました。そして八十余歳で、家族に一切の世話をかけることなく、無上道へと旅立っていきました。

 

 人は何のために生まれてきたのでしょうか。そして、一生のうちに、何をしなくてはならないのでしょうか。

 私たちは何かに頼ろうとばかりしています。しかし、少しだけ見方を変えて、今の自分に何が出来るのかを考えてみて下さい。

 私たちが一番忘れやすい『おかげさま』という言葉を心に刻んで、両親や多くのご先祖さまの恩に報いるために、また周りの皆さんに喜んでいただける様に、感謝の生活に精進したならば、きっと幸せへの道が開けていくと思います。

合掌

宝塔第237号(平成11年10月1日発行)