苦しみや悲しみ、楽しみや喜び。
いろんな縁にふれながら生きているわたしたち。
それをしっかりと受け止めて、素直に善行(ぜんぎょう)に
精進してゆくならば、必ず護(まも)られてゆくのです。
ひとりの奥さんから、ある日こんな相談をされたことがありました。
「先生、主人の勤務先でちょっとした行事をしたんですが、その時に子どもさんが一人、行方不明になってしまったんです。その行事の責任者がうちの主人で、もう今大変な騒ぎになっているんです」
ご主人は、そのあたりでは名のきこえた立派な家柄の後継ぎとして生まれ、当のご主人自身もいたって真面目で実直な方でした。
ところが真面目な性格がわざわいしたのでしょうか、ご主人は責任を感じて、自分自身を責めつづけていたのです。その上に、子ども会の父兄や会社の同僚からも、ある事ない事を言われて、心身共に疲れ切っている毎日だったのです。
「先生、見ている私たちでさえも、生きている心地がいたしません。主人自身はもう心身共にギリギリのところまできているんです。どうしたらいいんでしょう。
どうして主人が、こんなに責められなければいけないんでしょうか。実際のところ、主人には何の落ち度もないはずなのに」
涙ながらに訴える奥さんでした。じっと私を見つめながら、続けてこう言われました。
「先生、せめて行方不明の子どもさんだけでも見つからないでしょうか。そうすれば、少しは事件が片づいて、主人も楽になるでしょうに。なんとかして下さい。主人を助けて下さい」
動揺してみえる奥さんを、私はまず拝ませていただきました。すると、少しは気持ちが落ち着いたようです。
「奥さん、仏さまの教えでは『縁』を大切にいたします。どんな出来事も『因縁果報』という、つながりの中にあると教えられます。
だとすれば、きっとあなたの家にも、今回の事件に似た様なことがあったんではないですか。もし知っていることがあれば教えて下さい」
はじめは言いにくそうにしている奥さんでした。
「奥さん、妙法の教えには間違いはありません。因果は繰り返すといいます。もし今、因縁を変えていかなかったら、また同じような出来事を味わうことになってしまいます。因縁を良いものにするためにも、すべてを教えて下さい」
私が何度も尋ねると、ようやくお話しして下さいました。それは、奥さん自身ではなく、先妻さんのことだったのです。
「先生、実は私は後妻として、この家に嫁いできました。詳しいことはハッキリとは知りませんが、先妻さんの長男さんが、まだ小さい頃に山で遭難したんです。
ところがお姑さんは、お嫁さんを『うちの後継ぎを殺した』と、さんざんに責めぬいたらしいんです。
それでなくとも、わが子を亡くした悲しみで、半狂乱になっていた先妻さんです。お姑さんに責められる毎日に疲れて、もう一人の子どもを残して、川に身を投げて自殺してしまったんです。
私はその後妻として、この家に嫁いできました。もちろん先妻さんが残されたもう一人のお子さんを一生懸命になって育てました。お蔭さまと明るく成長してくれて、今はもう独り立ちしております。
それからしばらくして、お姑さんも亡くなりました。ですから今は、主人と私と私の子どもと三人で暮らしているだけです」
うなずきながら聞いている私を見て、奥さんはちょっと不思議そうな顔をして言われました。
「先生、たしかに同じような因縁はあると思いますが、それは先妻さんとお姑さんの話しであって、私には関係ありません。それにもう、そのお姑さんも先妻さんも亡くなっているし、私は私なりに頑張って、先妻さんのお子さんを育てたつもりですよ。それでも、私がいけないんですか」
私はちょっと強い口調でお話しをいたしました。
「奥さん、決して奥さんが悪いと言っているわけではありません。ただ私が言いたいのは、奥さんの心の中には『私たち家族の平和と幸せな毎日』を求めるという気持ちが強くなかったかということです」
「でも先生、それは当たり前の気持ちでしょう。誰だって、そう思っていると思います」
奥さんは納得出来ない様子でした。
「しかしね、奥さん。あなたが求めて手に入れた幸せその幸せを築き上げたのは、決して奥さん一人の努力だけではなかったはずです。たくさんの方がみえたはずですよ」
「先生、過去のことを迷惑に思ったことはあっても、ありがたいと思えるようなことは、何一つとしてありませんでしたよ」
「そうでしょうか。先妻さんにしても、亡くなったお子さんにしても、いろんな想いを残していったに違いありません。そういう人達の悲しみや苦しみを分かってあげようとしましたか。多分、気にも留めなかったでしょうね。今回の事件は、その皆さんの苦しみや悲しみを理解して、少しでも菩提(ぼだい)を弔(とむら)ってあげて、良い縁に変えていくようにと、仏さまが教えて下さっているんですよ」
奥さんは、うつむいたまま、ただ黙って聞いてみえるだけでした。
「今日からは、山で遭難した先妻さんのお子さんの追善の供養をしてあげて下さい。そして、子どもを亡くして悲しい思いで、自らの生命を断たなくてはならないほど悩んでいた先妻さんを弔ってあげて下さい。それに他人から見ると、悩んでいる嫁を責めるなんて、なんと無慈悲な姑と思えるかもしれませんが、一つの家のために苦労を重ねてきた、あのお姑さんの気持ちを分かってあげて、たとえ少しでも供養をしてあげて下さい。そうすれば必ず、今回の事件も収まって、罪深い因縁も、きっと良縁に変わっていきますよ」
「先生、本当に良くなっていくんでしょうか」
「奥さん、仏さまを信じて下さい。亡くなった人達の心を分かってあげて、あなたの周りにいる皆さんに尽くして生きていけば、必ず護られていきますよ。心配いりませんよ」
私は、そうお願いをいたしました。すると奥さんは、ハッキリと「はい」と素直にうなずかれました。
それからの奥さんは、毎朝夕にお仏壇の前で、亡きお姑さんや先妻さん、そしてお子さんに一生懸命にお参りをされました。
そしてしばらくして、ある川から行方不明になっていた子どもさんが発見されました。不幸にもお亡くなりになってみえましたが、そのことによって、ご主人の責任問題などが、少しずつ解決していきました。
この出来事以来、奥さんだけでなく、ご主人やお子さんも妙法の教えに精進をされる様になられました。そして月日が経って、お子さんが社会人になり、良きお嫁さんを迎えることが出来ました。
先年、ご主人が他界されました。しかし、息子さん夫婦と二人の孫と共に、亡きご主人はもちろん、多くの皆さんの供養を忘れずに、今なお毎日を感謝して精進されておられます。
仏さまは常に私たちを護っていて下さいます。
それに気づき、仏さまの声をしっかりと受け止めて、
幸せへの道を、一歩一歩あゆんでまいりましょう。
合掌
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