太陽が天界にあって、常に明るさと温かさを与えてくれるように、この世の中は、本当は良い所なのです。
私たちはいつも上から護(まも)られ、下からも支えられ、周囲から励まされて生かされていることを知らなければなりません。
教えのない生活では、幸福を求めながら、護られていることに気がつかず、喜びも感謝もなく、怒ったり、愚痴を言ったり、貪(むさぼ)りの多い生活をして、さもこれが当然のように長年繰り返しているうちに、やがて不幸から脱出できない悪い習慣となっていることにも気がつきません。
人生の不幸を三つに分けると、貧乏・病気・不和となります。この三つの不幸は、三毒の心の現れです。
三毒の心
一、貪欲の心は、貧乏のもと
(自分の幸せだけを願い、日々損益のみに執着して 他人を思わない人のことです)
一、怒りの心は、病気・災難のもと
(わがままで短気でよく腹を立てる人のことです)
一、愚痴の心は、不和のもと
(万事足ることを知らず、不平不満の人のことです)
このように人間の使う心が、そのまま不幸な生活の姿に現れて来ます。
長い年月を経た人を見て思えることは、私は何も言うこともなく幸福である、と言える人は少ないようです。
妙法の教えは、先を見通す教えであると言われます。これは因縁を知り徳を積むことによって、この先幸福に成れるということであります。
仏様は、この教えを他に伝えて人を救うことは大変困難なことであるが、もしそれを行う者には大きな徳を与えると言っておられます。
ある奥さんからこんな相談がありました。
「先生、私の長男のことでお尋ねに上がりました。昨日突然小学校の先生から電話があって、『あなたのお子さんは最近欠席が多いので、体の調子でも悪いのではないかと心配しています』と言われました。
子供に聞いてみると、僕は学校へ行くのが嫌になったから、ずっと向こうの山の麓で遊んでいたと言います。 学校から2キロも離れた所で毎日遊んでいたらしいのです。近所の友達に聞きますと、意地悪をされて泣いていたとも聞くのですが、他に何か理由があると思って尋ねても、ただ行きたくないと怒るだけで、どうしたら よいのでしょうか」
と真剣な態度で言われました。
「お尋ねしますが、あなたは親として時々学校へ行かれたことはありますか」
「はい、よく参ります」
「その時に先生に対して、あれやこれやと意見を言ったり、注文をつけられたようなことはありませんか」
「先生、うちの子供はあまり成績が良くないので、なんとかしてほしいと思って、子供の授業を見せてもらいに行きました。クラスの中には勉強の出来る子と出来ない子がありますが、担任の先生は一方的に授業を進めるだけで、私の子などは先生の言われることが分からないらしく、嫌になったという態度で、勉強に興味が無くなった様子でした。
だからある時も、学校の先生に、勉強の出来ない子に特別に教えてもらえないものか、教え方に親切さ、丁寧さが欠けているのではないかなどと、先生に言ったことがありました。
先生は、ハイハイと言われるだけで私の言うことを聞き流しておられるばかりで、その上、『子供さんの勉強の遅れている分は家庭で教えてあげて下さい』などと、全く無関心、無責任な態度なのです。
ですから腹が立ってしまいまして、こんな熱意の無い先生では私の子供は決して伸びないに決まっていると考えまして、それ以来何かにつけて先生を悪く見て、不足に思えて来たのですが、それがいけなかったのでしょうか」
と言われました。
「そうですよ。『悪念、悪業他を傷つけず、己のみ傷つく』という仏語がありますが、どんな理由にしても、他を悪く見ることは、その結果は決して良くなるものではありません。
『師を信ずれば師力を得る』とありますが、これと反対に師に不信であれば師力が得られない、ということになり、親が先生を嫌ったり、不信の念をもったが故にお子さんが学校へ行くことを嫌うようになったのです。
奥さん今日からは、こんな私の考え方は駄目であった学校の先生が悪いのではなく、この親自身が悪かったと悟らなければなりません。そして、たとえ少しでも徳を積む心を起こして、手作りの雑巾でも沢山作って寄付するとか、バケツでも買って寄付するとか、真心を込めて学校に徳を積むことが大切です。その上先生には、勝手気儘なことを言って注文をつけたり、不足に思って誠に申し訳ございませんでしたと、心からお詫びをすることです」
とお話しをしました。
素直なこのお母さんはその通り一生懸命実行されました。するとどうでしょう。我が子はものすごく変わって喜んで学校へ行くようになったのであります。
お母さんの喜びようは大変なもので、心遣いを変えて徳を積むことの大切さを知り、自らの体験を人々に伝えるこの教えは間違いないと喜んで下さいました。
ご相談があったのは、今から20年くらい前であります。それ以来今日に至るも、ご熱心な信者として毎月ご法話会を開いて多くの人々に法を施し、困ったことが解決した喜びだけで終わることなく、自ら徳を積み続けて大乗一筋に精進されております。
息子さんも立派な社会人となり、結婚して子供にも恵まれ、幸福な人生を歩み続けておられます。
ある日、この息子さんが見えて言われました。
「先生、どんなに教育が進んでも世の中が変化しても人の心が進歩していなければ、同じことを繰り返しているだけですね」
と言われました。
「何かあったかね」と尋ねますと、
「僕は歳に似合わず、よく会社の先輩から子供の問題で相談を受けますが、これも因縁でしょうか。登校拒否の問題ばかりです。
僕のことは母から聞いていますので相手に尋ねてみますと、兄嫁を嫌って大切な両親の家に足を運ばなかった母親が、可愛い我が子の登校拒否で困るという結果に発展したことが分かり、この先輩の奥さんも教えを聞いて下さるようになりました。
親孝行の勤めを放棄すれば義務教育を放棄する子供で困るという話を聞いて徳を積んで良くなられました。
また、独断的な父と、命令的な母の間に育った教育熱心な家庭の一人息子さんが、校内暴力の仲間に巻き込まれ悲しんでみえた母親も教えを聞かれるようになって、とても喜んでおられます」
この青年の話を聞きますと、私たちは遠い昔の仏様の教えに今日も護られていると信じます。
『親子は針と糸の如し』と申しますが、親の通った道は必ず子が通りますから、教えを聞いて子の通りよい道を作るのが親の務めであると知らなければなりません。
大乗教の教祖は、
『己が身を思うが如くいつわらぬ、
誠をつくせ事のよろずに』
と教えをお説きになっています。
人が悪く見える時は、まずその前に自分の心の中に欲というものがあることを知り、自分の心が貧しい時ですから、徳がないと悟らねばなりません。
相手の立場を考えることなく、その欲がみたされない時、相手を悪く眺めてしまい、やがては怒れて来ます。
こんな時は、自分の欠点に早く気が付いて徳を積むことです。徳が満たされますと心が豊かになって、すべてが良く見えるようになります。
合掌
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