「宝塔」第267号
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 茄子(なす)の畑に瓜(うり)ならず 
因縁因果を見定めよ

 ある日の事、中年の奥様がお見えになり、
 「先生お尋ねしますが、私の息子が十八歳になりますが知らないうちに家の物を持ち出して、金に替えては遊んでいくら注意をしても聞いてくれません。小さい時には、買い物の釣り銭を戸棚に置いておきますと、それを無言で持ち出して使ってしまいますので注意しますと一時は止まりますが、しばらくすると又やりだします。当時は、頭を叩いたり、叱ったり出来ましたが、今では私より大きく腕力もありますので、どうにもなりません。
 注意しますと大きな声で怒鳴り返して、言うことを聞いてくれるどころか、今日この頃では私の箪笥(たんす)の物を持ち出したり、家の中のめぼしい物を持ち出して、金に替えて遊んでいる様です。主人に注意してもらおうと言いますと、『お前の育て方が悪いのだ』と言われるだけで本当に困っています。教えを聞くと、どんな事でも良くなって行くと申されますが、どうしたら息子の心を直すことが出来るでしょうか」
 とお尋ねになりました。
 「奥様、仏様のお言葉の中には『善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)』とあります。又親の通った道を子供は通ると申されます。何か奥様に心当たりはありませんか」
 と申しますと、
 「先生、それでは私が人の物を取ったとでも申されるのですか。私は人の物など取った覚えはございません」
 と申されます。
 「それでは奥様、両手で合掌して目をつむって私の言う事を心落ち着けて聞いて下さい。今から十八・九年前の奥様のやって来られた事を振り返って見て下さい。
 そこに、今日息子さんが非行に走る因(いん)を作ってある様に思います。
 親に心配をかけなかったか、困らせなかったか、親の物を取る様な事はしなかったか、と反省して下さい。
 もし、思い出す事が出来ましたらお話しして下さい。
その事が、息子さんの非行に走る原因になっていると思います。
 世の中は、自分の思いどおりになることばかりではあません。人を困らせただけ、人を苦しめただけ、それを今度は自分が受け継がなければならないのですよ」
 と申しますと、
 その奥様が泣き出されて、
 「先生、若気(わかげ)の至りと申しますか、自分の幸福になる事だけを願って、とんでもない事をしてしまいました。
 私は五歳の時に叔父叔母の所へ養女にまいりました。養父母は私を可愛がって育てて下さいまして、わがまま一杯で暮らし、学校を卒業し、和裁に通っている時でした。その時私は二十歳でした。年頃になったから良い婿さんをと、養父母は親戚の中から貰いたいと言って探しておられましたが、その時には今の主人と恋仲になっておりまして、親戚ではないから結婚は許されませんし、いっそ二人で家出しようと決心し、ある日、養父母が親戚の家に養子の相談に行かれた留守に、私の物を荷造りして養父母が貯えていてくれた貯金を持って二人で家出して来たのです。主人のお金と私のお金で家を買いまして、主人は職人として働きに出て、初めは本当に楽しい生活でしたが、三年後、仕事もうまく行かなくなって、その家を売り、今の所に来て借家住まいのその日暮らしに落ちてしまいました。働けど働けど楽にならず、息子は放逸(ほういつ)な生活で、家の中は毎日が地獄なのです。
 先生、助けて下さい。どうしたら良くなって行くのでしょうか。息子が真面目に働いてくれるようになるのでしょうか」
 と申されました。
 「その養父母とは連絡がとってありますか」
 「いいえ、家出したきり一度も連絡などしてませんし、生死さえ聞く事も出来ずに今日に至っております」
 「それはいけない事です。あなたの救われる道は仏の教えを信じて素直に実行する事です。よろしいですか、今日から朝晩、養父母の住んでいる方に向かい合掌して、 『私が尊いご恩を踏みにじってわがまま勝手な行いをして申し訳ございませんでした。どうぞ許して下さい』
 と妙法を唱えて一心に拝んで、心から養父母の事を思い懺悔(さんげ)する事です。真剣に拝んで下さい、それから、息子に陰から合掌して、
 『お前が悪いのではない、この母さんが至らぬからでした。許して下さい、良い子になって下さい』
 と一心に拝む事です。そして、どんな事があっても怒ってはいけません。
 苦しかったり、辛かったりする時は、これで私の罪が消えるのだと、堪忍する事です。
 それから、息子さんが人様の物に手を出さない事が有り難いと喜びに変えて、養父母の所へ長年の親不孝を詫(わ)びて近況を知らせてあげることです。養父母は喜んで下さりますよ。それだけを実行して下さい。きっと喜べる事になって来ます」
 と申しますと、実行しますと誓われて、喜んで帰られました。

 三ケ月ほど経ったある日、今度はニコニコして来られまして、「先生、有り難うございました。養父母から返事が来ました。親という尊さを知りました」と一通の手紙を出されました。その中に、
 「お前たちが生きていてくれるだけで、私たちは安心した。お前たちが居なくなった時には、全く途方に暮れた毎日だったが、今では跡取りをもらって孫も出来て毎日幸せに暮らしているが、カラスの泣かない日はあってもお前たちの事は忘れた事はない。一度遊びに来てくれ。息子も大きくなったとあるが、俺たちにとっては可愛い孫だ、遠慮はいらないから一度来て顔を見せてくれ、親子の間ではないか」
 と親の慈悲(じひ)の偉大さを現して書きつらねてありました。
 「私のような親不孝者を、ようもこんなに尊い心で居て下さったと思うと、私には全く息子に対する慈愛の無かった事をしみじみ思いまして、誠にすまぬ母であったと陰で息子を拝めるようになりました。
 そして、この息子が本当の親心と言うものを教えてくれたのだ、罪を作ってまでも私に悟れと教えてくれたのだと思えて、息子に対して懺悔と共に感謝の心に変わって来ました。
 ある日突然、息子が『母さん僕、父さんと一緒に働くよ』と言ってくれました。その時、嬉しくてこんな良い息子を自分の至らなさから悪く思い、悪く眺めて来た私こそ悪かったと思いました。そして息子が真面目に主人と一緒に働いてくれるようになりまして、今では親子が御法の有り難さ、心の転換の尊さがしみじみ分かって来ました。主人と二人で元気よく『母さん行って来ます』と出て行く姿を見送って合掌し、今日一日何事もないようにと念じて今日の幸せを喜んでおります。養父母の方へも三人で出掛けて行き、親不孝を詫びる心でおります。

  うきつらき心にそわぬ事をみな
 よきに悟りて喜びを得よ

 と教えられます。又『不治の病も災難も身から出たさびよく悟れ』とありますが、本当に相手が悪いのではないこちらの心の至らなさが、しみじみと分かって来ました。今後、素直な心になって精進させていただき、幸福な家庭を作って行きますよう、仏の教えを頼りといたしますからよろしくお願いします」
 と喜びを語ってくださいました。
 「人の心は善なり」と申されます。こちらが赤色のメガネをして見ますと赤く見える様に、まず自分の心の間違いを探し出し、その原因をよく見定めて正して行くように努力してこそ、そこに美しい世間が見えて来るのです。

  人の世の悪しく見ゆるはなかなかに
 己が心のよからざるなり

 とありますように、私たちは仏の教えを生活の中に生かしてこそ、真の幸福を得る事が出来るのです。

合掌

宝塔第267号(平成14年4月1日発行)