人は誰でも同じ様に幸福になりたい。人よりも幸福に暮らしたい。これが人が生きていく上の願いです。生活をしていく上において大切な事は、お金であり、健康であり、家の中が楽しく暮らして行けること。人はそれぞれの願いを持ち各々努力をしているが、思うように行かないと嘆いたり悲しんだり、私ほど不幸な者はないと思う様になります。又、何でもなくても取り越し苦労をして夜も眠れないと、苦しみの中に入って行きます。
世の中で自分の思い通りに行ける人は、殆どと言っていい程ありません。
人は常に自分の考えを中心にして物事を見るから、又一つ一つの物事に執着(しゅうじゃく)を持つから苦の元と成るのです。一軒の家の中でも、主人、子供、妻とそれぞれ思う事が違いますから、なかなか合う事がありませんが、相手に合わせれば何事も無く暮らせます。自分を中心にせず、周囲の人の幸福を願うようになると、毎日が楽しく成り自分の人生を明るくする事が出来る様に成るのです。
主人に早死にされた奥さんが、一人息子を抱えて八年間、汗水流して働きながら、ただ子供の為にと一生懸命に暮らしてこられました。ところが子供が十七歳の時より反抗しだして、オートバイを手に入れ、それを乗り回し、世間で言う暴走族の様になって、土曜日から日曜日にかけて帰らなくなり、何か悪い事でもしているのではないかと思うと夜も眠れず、今日まで何の為に苦労したか分からないと泣いて暮らしてみえましたが、縁があって仏様の教えを聞かれることになりました。
「先ず子供さんを信じる事です。人には一時いろいろと迷う時がありますが、今日まで奥さんが一生懸命に努力をした事は、子供さんが一番よく知っているはずです。今日まで子供の為にと生きてきたように今まで通り生きる事です。そして、陰から毎日仏様と子供さんを拝んで行く事です。子供には何も求めないで下さい。もう一つ自分の親に心配をかけてきた事を懺悔(さんげ)して下さい。どんな人にも仏性(ぶっしょう)と言って仏様と同じ様な心が有ります。必ず喜んで感謝の出来る時が来ます」。
それ以来、子供を信じ拝む日暮らしをされました。
半年ほどして、子供がオートバイで足を折り、二ヵ月ほど入院生活をする事になり、お母さんは毎日、仕事を終えてから子供の好きな食事を作っては持って行き、大した怪我でなくて良かったと少しも愚痴をこぼさず、怪我をした事が却(かえ)って良かった、オートバイにも乗らず、他人に怪我をさせたり迷惑もかけずにすむ。これが仏様の守護であると、毎日を笑顔で喜んで暮らす様になりました。
この姿を見た子供さんが不思議に思い、お母さんに、
「苦労して少しずつ貯めたお金を、僕が怪我をした為に使っているのに、どうして毎日明るい顔をして病院に来るのか、何か良い事でもあったのか」
と聞いたのです。
「この世の中には一人として悪い人はいません。私にとって貴方は大切な一人息子です。怪我も大した事ないしお母さんは貴方を信じて今日まで来ました。これからも信じて行きます。貴方の為に一生を懸けて、どんな人に成っても悔いのない様に努力をして行きます。何も心配せずに好きな様にして行きなさい。年頃に成って結婚でもしたらお嫁さんに任して、やがて別々に生きる時があってもそれで良いのです」。
病院の先生や看護婦さんが「貴方は良いお母さんを持って幸せですね。本当に良く出来たお母さん」と回診に見える度に誉められました。退院後、真面目に勉強に取り組む様になった。ある日、「お母さん、僕もお母さんの様に誰かの為に一生を懸けてみる人に成ってみたい。先ずお母さんに喜んでもらう様に努力をするから」と目に涙を溜めて言葉少なに言いました。お母さんも涙を流しながら、仏様の教えを信じ子供を信じて、毎日毎日を陰で拝みながら明るく暮らして来た事が息子の心を変えさせたのだ。
お母さんからこの様な報告を受けました。
信仰が人の一生を変えて行きます。この母も子も信仰のお陰で正しき道を知り、現在の幸福を築かれたのです。現在がどんな状態であろうと、今をいかに生きるかの道を知る事が肝要です。
仏様は私たちに生きる道を説かれました。
或る娘さんは両親と共に暮らして見えましたが、お父さんが人に騙されて、商売に失敗してから、お酒を呑む様になり、だんだんとアルコール中毒に冒され、酒が無ければ生きて行けない程の体になってしまいました。お母さんは病弱な中にも家の為に働いてみえ、常に娘さんに言っておられた事は、
「お父さんは良い人だから何も言わずに、今はこのままにして好きな様にしておいてあげなさい・・・」とどんな環境の中にあっても、一言も不平を言わなくて、
「私たちは、この様に暮らして行く業(ごう)を生まれた時から持って来たのですから、この中から喜んで行く事です。業を果たせば幸福になれます。お母さんは今でも幸せですよ」
と仏様の教えを信じて暮らしてみえましたが、病が重くなり、娘さんが十六歳の時に亡くなられました。死ぬ少し前に「お父さんを頼みます」の言葉が最後でした。そして、お酒呑みのお父さんと二人で暮らす事になりましたが、お父さんのお酒は止むことなく続き、外で呑んだ時には道で寝つぶれたり、警察の世話になったりして、二十四歳になる迄の八年間お父さんと暮らして来たのです。近くの娘さんが、お正月や、お祭りには晴れ着姿で道を歩いているのを横目で見ながら、野良着一枚で働いている自分とを見比べて、身の不幸を嘆き、なぜ私だけがこんなに苦労をしなければならないのかと思える時、必ず、お母さんの最後の言葉を思い出し、そうだ私はこれで良いのだと、自分に言い聞かせて働いて来ました。二十一歳の時、お母さんが信仰をしていた仏様の教えに縁がありました。
「不幸と思うのは間違いで、心で不幸と思えばどんな所にあっても不幸であり、お母さんはどんな時でも、自分を不幸とは思ってみえませんでした。
人は各々の縁によって結ばれて行くもので、親子になるのも兄弟になるのも夫婦になるのも、前世の因(いん)があって、現在の念とが縁を結ぶものですから、現在を少しでも喜んで功徳を積んで行けば、必ず善い縁に繋がって行くものです。貴方には分からなくても、前の世で親不孝をして、わがまま一杯に暮らして来たから、今その借りを返しているのです。借りが無くなれば貴方の人生は幸福になる道を歩く事が出来るのです。お母さんが言われました様にお父さんを大切にして下さい。人は晴れ着が無くても、友達の様に遊ぶ事が出来なくても、不幸ではありません。晴れ着を着て遊んでいても不足に思っていれば不幸です」。
この娘さんに信仰の生活が始まりました。やがて、お父さんも体を悪くしてお酒を止めなければならなくなり、それから三年後、この娘さんの親孝行と、何事があっても物事を悪く取らない人柄を見込んでと縁談がありました。しかし、何もないし、お父さんがいるからと言って断って来ましたが、お父さんも共にとの話で結婚をされました。主人は公務員で優しく、主人の両親も優しく、今時こんな良い娘さんがあったかと喜んで暮らしてみえます。
すべてが過去世(かこせ)よりの縁であると思い、一つとして悪く世の中を見ない、どんな事があっても喜んで受け入れて行く心、これが何よりも大切な事です。
人の長い一生から見れば、八年間の酒呑みの父親との暮らしは短いものです。その中に罪を作って行くか、功徳を積んで行くかによって、明日からの人生が変わって行きます。
人は現在の姿の中で、幸せとか、不幸とかを決める事は間違いです。現在の中より作って行くのが幸不幸です。信仰とは、どんな中にあっても、如何に生きるのかを教えて頂き、折角の大切な一生を無意味にせず、生き甲斐のある道を説いてみえるのです。
合掌
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