私たち人間の生命は、限りない過去から果てしない未来まで続くものと教えられます。
「今日」という日は、ポツンと離れて「今日」だけがあると考えず、限りない過去から果てしない未来へ続いている生命の川の一つの瀬が今日なのであると考え、その川は今まで一度たりとも途切れた事はなく。これからも途切れる事はないのです。
従って、今日の我が身、我が心を濁すような事があれば、限りなく続く生命の流れの下流にどんな悪影響があるか、また「今日」の我が身、我が心を清らかに澄ます事が出来れば下流の流れは、どの様に変化して行くのかという事を考えてみる必要があるのではないかと思います。
仏説には「久遠(くおん)を見る事なお今日の如し」と仰せられています。全て、今日の心遣いが未来の善悪を生み出す、故に、人生の大安心を得るためにも正しき信仰をお勧めいたします。
以前、サラリーマンの若いご主人が訪ねて来て、
「この世の組み合わせは、似た者夫婦と言われますが、私たち夫婦は、まるで似ていません。性格が全く反対なのです。気が合わないので楽しい語らいの味も知りません。自然に、家に帰る楽しみも無くなって、悪いと思いつつ外で遊んでしまいます。夜中に帰ると家内が嫌な顔をします。心の溝が大きくなるばかりで離婚したほうが良いかと思い相談に上がったしだいです」
と言われたのです。
そこで話させて頂きました。
「相反するものが二つ合わせて一つと成る。男は水、女は火、水と火とは全く相反する二つであります。
二つの相反するものが一緒に成るところに、別の大きな活動力を生み出すことが出来るのです。夫婦もまた、そのように、水と火、白と黒とが合いながら一つの使命に生かされている、故に夫婦が成り立っている事を悟って下さい。
似たもの夫婦とは、性質や性格、趣味等が似ている者同志と言う意味ではありません。
その夫の値打ちと妻の値打ちとが似合っている、と言うことではないでしょうか。価値の釣り合った者、言い換えれば、徳分(とくぶん)の等しい者同志が夫婦と言う一つに組み合わさっていると言うことです。
その相反する者が互いに、それぞれの特性を活かし合って助け合えば、大きな力と徳とを授かることが出来ると思います。
水だけでは、堅い豆はやわらかく成りません。米もご飯には成りません。
水だけでは物をやわらかくする徳が生まれて来ないのです。しかし、鍋の水が、よく燃える火に当てられて、仲良く向かい合う時、始めて米をご飯とする力が生まれ豆もやわらかく煮えあがります。物を煮る徳が授かるのです。
女性は火の性(しょう)と言われます。上を慕って上がってくるものです。陽気で一切を暖める性です。女性が陰気で気難しい家庭には、良い子供が育たないようです。
男性は水の性で、水は高きより低きに流れるように、妻や子、下の者に対して、悦びと安心を与えることが肝要です。外に出て喜んで働き、家庭には心配や憂いを与えないよう、妻を陽気にさせる。言い換えますと、火をよく燃え上がらせることです。これが男性自身の運命を温め、男の徳を伸ばします。
あなたは、奥さんが陰気で行き届かない為に不快だと思っておられます。しかし、そんな妻を丁度釣り合って並べられたあなた自身も、その程度の価値しかない人間であることを知り反省することが必要です。
自然は釣り合わないことは許しません。自然によって成される運命の裁きを考えて、自分の値打ちを高める勤めが大切ではありませんか。
自分の不徳、運命の悪さ、値打ちの足りなさを忘れて奥さんの欠点のみで不快だと言われる。ただ相手を責めて自分が独り遊ぶ楽しむ、これでは益々徳を失い、自分の価値を下げることに成ります。
奥さんは悦ばねばならぬと分かっていても、笑いたいと思っていても、笑えない人ではないでしょうか。自分の心を自分で自由に出来ないような精神状態に、あなたが追い込んでいるのではないでしょうか。
あなたが、運命の栄える妻にしてあげることです。すなわち、信頼と尊敬を妻に集め、明るく落ちついた家庭に、笑える暖かな女性にしてあげることが、あなたの使命であり、あなたに徳を身に付けさせることになり、自分自身の生涯を明るくしていくと考えて下さい。ここにあなたの行くべき道があるのではありませんか。火と水の調和が「もの」を生み出す力になります。それが一方だけ勝っては、火と水の助け合いとはなりません。火が勝ちすぎますと焦げついてしまいます。焦げつくと一切が台無しに成ります。
火は水を温め、人を暖めます。
火は自分の全てを捧げきって消えていきます。
女性は、その暖かな心、慎ましやかな心を、親の為、主人の為、子供の為、近隣の為に捧げて、自分の姿を後に残さない、灰となって自分を消してまで周囲を暖めるところに尊さがあります。
逆に、火は大き過ぎると、燃えすぎると、人の世の一切を無茶苦茶にしてしまいます。
夫は妻の為に、妻は夫の為に、上は下の為に、下は上の為に、自分は他人の為に捧げて生きる。全て、相対立する人々の為に捧げて、互いに助け合い拝み合い、励まし合って行く。その時、相手の持っている徳分を貰って栄えて行きます。
子が親に対して悦ばせる時、その親の徳を戴いて子孫を栄えさせる道が開けて行くことになります。男としては、女に安心を与え、悦びと落ちつきを与えることが大切です。
人間の一生は永い旅です。時々退屈してアクビの出る時もありましょうが、何時までも退屈が続くわけでもありません。満腹になって、食欲が無くなっても、その状態が三日も続くものではありません。
ゆるみと緊張、感激と倦怠(けんたい)、相反するものが組み合わされて一日一年がある。二つが調和して一生が出来上がっているものであろうと思います。
従って、あなたも過去〔結婚した当時等〕を振り返って、まずよく反省する必要があります。
あなたの結婚は、周囲の方々より心から祝福された結婚ではなかった。親を困らせての結婚生活に入られた報(むく)いであることも多分に反省して下さい。
自分のわがままを通して、周囲の方々との調和を保とうとせず、ただ周りに調和を強要したに過ぎません。
自分の両親と妻の両親に、まず、懺悔(さんげ)をして、続いて妻を責め続けてきたことも反省懺悔することです。そして、夫婦力を合わせて、周囲の方々に悦びを与える生活が出来るように努力して下さい」。
初めて大乗の教えに縁を結ばれたご主人は、心から深く反省され、妻をいたわる様になり、今では人も羨む程の家庭を営んでおられます。
「今日」の心づかいが将来の幸・不幸を生むことになります。
お互いに意義のある「今日」一日一日を過ごされ、徳を身に付け、幸せを手に入れて下さい。
合 掌
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