人は幸福を求めて生きて行きます。その為には四つの宝が必要です。
第一は健康である事です。
健康を保つには、先ず節制が大切で、食べる物でも、飲む物でも、考えて行く事です。
そして心をいつも安定させる事です。どんな事があってもいらいらしたり、怒ったりしない事です。今の世の中は、色々と神経を使う事が多いですが、心の動揺が一番悪いのです。少しの事で心が乱れたり、取り越し苦労をする事はありませんか。腹が少しはるから、お腹に癌でも有るのではないかとか、乳房に小さなシコリがあるから乳癌かも知れないと、悩み、医者へ行って診察を受けて「癌」と言われたら怖いからと、そのままで苦しんでいる人が多いのです。頭が少し重いから、血圧が上がって中風(ちゅうぶう)になるのではないかと、自分で自分の病気をつくる人も多いのです。
この人間の身体は、昔から四百四病の器と言って、病には罹(かか)りやすいのです。少しくらいの事でうろうろせずに医者に診せ、その指示に従って行く事です。後は自然に任せて行く心をつくる事が大事なのです。人はどんなに死にたくないと言っても、死ぬ時がくれば死ななければなりません。
一人のおばあさんが、足痛で苦しみ、病院をあちらこちらと変わりましたが、少しも良くならない為に、悩んでいましたが、七十歳近くもなれば、神経痛くらいは出て来ます。昔から一病息災と言って一つ位は病気があっても、今まで長生きをして来たのですから、仕方がありません。先ず、取り越し苦労や、いらいらを止めて何時も心安らかに保つ事です。人間どうしが共に生活をするのですから、お互いに労(いたわ)り合って行くことが大切です。これが健康を保つ最大の条件になるのです。
第二は目的を持って生きる事です。
目的のない人は只生きているだけですから、これだけはしなければならないと言う様に生き甲斐をつくる事です。
子供は親に育てられて成長するのですが、小さい時の事は、嬉(うれ)しかった事とか、特別悲しかった事だけはよく覚えているのですが、親がどのくらい苦労して育ててくれたかは分かりません。やがて一人前になり、職を持ち結婚をして、子供が出来、その子供が弱ければ、夜中に医者へ駆け込んだり、徹夜で看病したり、勉強が出来ないと家庭教師をつけたり、塾に通わせたりして、子供の為に苦労をします。
ここで、自分も小さい時には、親がこんな思いで育てて下さったと知る時です。
親に育てられている時は、世話になる時代。続いて自分で生活をするようになって子供を育てて、我が子や人さまに世話をして苦労をする時代だと思います。この時代は、大いに苦しんで良いと思うのです。
次は子供が一人前に成長し社会に出て働く様になれば、この時から本当に自分の時間が持て、楽しんで暮らす事が出来る時ですから、この時こそ、大きな目的を持って少しでも生き甲斐のある道を求める事です。
目的を持って生きて行く事が、最大最良の人生を作る事になります。
定年を迎え、長い間、会社で苦労をしたから、暫(しばら)くは楽に暮らしたいと家にこもり、僅(わず)かばかりの植木の世話をしておられた人が、だんだんと体も弱くなり満員の電車も乗れなくなって、しまいには家の中で粗大ゴミ扱いをされて暮らしてみえる人もあります。
又、定年後ボランティアの仕事をして、毎日朝早くから自分なりの仕事を持って楽しく暮らしている人もあります。この様な人は、本当に生き甲斐のある人生です。
第三は家の中が平和である事です。
家庭は、毎日日暮らしをする人の憩いの場所なのです。外で気を使ったり、辛抱することが多いのですから、せめて家の中では、気楽に寝ころがったりして、家族が気持ち良く話し合う事の出来る場所です。夫婦で喧嘩をしたり、親と子が物も言わずに過ごしている家庭が有りますが、こんな家庭は地獄の中にいる様なものです。お互いに、少しでも思いやりと明るさがあれば、こんな事はありません。男は働いて来るのが当たり前と思い、女は家庭の事をしっかりやるのが当然と考えて暮らしていると、そこに主人と妻の考え方の違いが出て、争いの原因になるのです。
ある家では夫婦共働きで、子供は隣に預かって戴き、奥さんが主人より遅くなる時もよくあり、そんな時は何時も「すみません、市場で作られた物で悪いけど、これで食べて下さい」と着替えもせずに夕食の支度(したく)をされるのです。この奥さんが言われる事は、「他の家の奥さんは主人の好きな物を手間をかけて作っていられるのに、私は仕事をしているとは言え、申し訳なく思っています」との事。この家では、共稼ぎであっても何十年来、口争いすらした事がないのです。
又、こんな家もあります。主人が会社から帰られると奥さんは、すぐ、夏には冷たいタオルを出して「暑かったでしょう。汗を拭いて下さい」、冬には「外は寒かったでしょう」と言って熱いお茶を出されます。食事をした後など、「会社では嫌な事はありませんでしたか」と話をしながら、隣の方が病気で入院をされた折には、「貴方も体に気をつけて下さい」と言って労わりました。子供たちには、「お父さんが頑張って働いて下さるから、あなた方は学校へも行けるし、お小遣いも頂く事が出来るのです。だからお父さんを大事にしてあげてね」と常々言い聞かせています。この家では、一年中大きな声を出したり、争ったりする事はないのです。子供の事で夫婦の間で意見の相違があっても、相手の言葉をしっかりと聞いて共に考えながら話し合うのです。
この両家とも、家の中は本当に人生の憩いの場所であり、心身共に休める所となっています。少しの思いやりと明るさが、暖かい家庭をつくるのです。
第四は感謝の心を生活に現すことです。
感謝と言っても色々ですが、先ず私たちが生きていく上に一番大切な事は食事です。食べる物にはそれぞれ皆生命があったのです。米にも野菜にも魚にしても肉類にしても皆そうです。今日私たちが生きていられるのは、他の生命の犠牲の上に成り立っているのです。自分だけの力で作れる物は有りません。少しぐらい甘かろうが辛かろうが、焼き魚が焦げ過ぎても、これが今日の私の生命を守ってくれると思えば、感謝して頂くことが出来ます。魚にしても肉にしても人間に食べられると思って生きているのではないと思います。
よく食事のことで文句を言う人が有ります。これは好きだからたくさん食べたい、これは嫌いだから食べたくないと言う人がいますが、こんな人はよく病気になります。それも食べ物で食養生をしなければならない病気になる方が多いようです。すべてが天地自然の恵みであると思って、無駄な栄養をとらず、与えられた物を感謝して、腹八分目程度の食事に心がけると良いようです。
次にこの世の中は自分一人では生きられません。米一粒でもお百姓さんが、八十八回手を入れないと一粒も出来ないと昔の人は言われ、米を菩薩(ぼさつ)と言いました。人の働きに対して感謝の言葉がこもっているからです。また、今日あるは親のお蔭と感謝して、苦労して育ててくれた親の恩を忘れることなく暮らすことです。
子供が病気になった時、私の親もこんな時、徹夜をして看病してくれたのだと心から親に感謝をして、子供の病気が少しでも早く良くなる様に親に祈りますと、早く良くなるのです。
人生を幸福に送るには、
第一に健康であること
第二に人生に目的をもつこと
第三に家庭を守ること
第四に感謝の心を現して生きること
四つが合わさって幸福になるのです。
合掌
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