「宝塔」第302号
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 親が親なら

 「今日あるは親のお蔭と感謝して」 この句は私が、四十年程前に作ったものですが、私自身が親不孝者であった為か信仰の道に入って六・七年を過ぎたころ、ふとこの句が出来たものです。
 
ともあれ仏法では「本(もと)を尊ぶ」ことを教えている。我々の本とは親であって、その親を尊ぶ報恩の道を教えられているが、現代は残念なことに、日本は世界で一番親不孝者が多い国になっているそうである。
 
親不孝者の若者が多いと言うことは、その親たちも親不孝であって今日までの生活に問題があった事になるのではないだろうか。確かに現代の人々は他人に対しては勿論だが、実の親子の間にも勝手主義が多い様である。
 
以前、朝日新聞の「声」に『マナーを守って子連れお母さん』と言うのが出ていた。
 
『先日、赤ちゃん連れでデパートに出掛けたのですが、売り出し初日のためか、平日というのに子連れのお母さんたちで大変な混雑でした。
 
子供のおむつを換えにベビー休憩室に入ったところ、ベビーベッドに靴のままの赤ちゃんを乗せたり、使用済みの紙おむつがベッドの上に置き忘れられたりしていました。また「紙おむつはお持ち帰り下さい」の貼り紙にもかかわらず、ゴミ箱に紙おむつが捨てられていました。
 
ベビー休憩室の外には子供の遊び場があったのですが赤ちゃんがハイハイしたり、幼児が積み木で遊んだりしているカーペットの上に、土足のまま子供を連れに行くお母さんがあり、ただただ驚くばかりでした。
 
自分さえよければ、自分の子さえよければ、ということなのでしょうか。お母さん方のあまりにもエチケットの無さに、怒りさえ覚えました。こうした母親に育てられた子供たちの行く末が思いやられます。後でどんなマナーを教えたとしても、母親の姿を自然に見て育っているのですから、お母さんは、公共の場での最低のマナーは守りましょうよ・・・。」と言う文面であった。
 
私はこれを読んだ後で、あの「カッコウ」という鳥のことを思い出した。カッコウという鳥は、産卵期になっても自分で巣を作らず、尾長鳥の巣に卵を産み付けて、尾長鳥に卵をだかせて知らぬ顔の半兵衛をきめこんでいるそうである。勿論ヒナが孵(かえ)っても餌を運ぶのは尾長鳥である。しかもこのカッコウのヒナは親が親なら子も子であるの言葉通り、自分が大きくなってくると巣が小さくて窮屈なのか、同時期に生まれた尾長鳥のヒナを巣から足で蹴落としてしまうのである。
 
畜生とは正にカッコウに付ける言葉かも知れないが、人間にもカッコウによく似たのがいるのではないだろうか、自分さえよければ他人の迷惑など振り向きもしない人の愛情も人の親切も平気で裏切る、それが当たり前としか思えない貧しい心の人間もいる。怠け者で、楽をして生活したい考えしか持てない人間もいる。

 仏説にこんな話があります。
 
ある怠け者の男が死んだ、そして閻魔王(えんまおう)の前に引き出された。閻魔王はこの男の娑婆(しゃば)にいた頃のことを調べていくうちに、この男が娑婆にいる時、只の一度だけ善行をなしていることに気付いた。そこで閻魔王はこの男に「お前は娑婆にいた頃、一度だけ善行を成している。その功徳によって、再び娑婆へ送り返してやるが、何に生まれたいか希望があったら言え」と促すと、この男が、「ハイ、体が真っ黒で口の周りだけが白いそんな猫に生まれ変わらせて下さい」と言った。閻魔王が何故だと尋ねると、この男が「体が真っ黒で、口の周りだけ白い猫に生まれると、暗い所にじっとしているだけで、ねずみが口の周りの白いところを餅と間違えて食べに来たところをパクリと楽に食べることが出来ますから」と答えたという話である。怠け者はどこまでも下賤(げせん)なもの事の考えしか出来ないものなのか。
 
現代の社会を眺めても、生活保護を受けながら、毎日パチンコ店へ行って遊んでいたり、働ける体を持ちながら働こうともせずに、子供だけはつくって奥さんに押しつけて遊んでいる。しかし、そんな人が家を新築したり購入する事実もあることを聞かされると、世の中に矛盾を感じるものである。
 
ある娘さんが、小雨の降る夜、車で信号が赤になったので止まった。その時、小雨に濡れた子猫が三匹、誰かが捨てたのだろう、よろよろしながら親を求めてか泣いていた。猫の好きなこの娘さんは、たまらない気持ちでこの子猫三匹を車に乗せた。自分が育てることにしたのである。それから毎日ミルクで育てるのだが大変だった。何か良い方法はないものかと考えながら庭を見ると、今はすでに子を産み育てて人間ならば老境に入っているであろうこの家の雌の老犬が寝ているのが見えた。娘さんはとっさに老犬の所へ猫を連れて行って懐に抱かせたところ、老犬は目を細めて怒りもせず、子猫たちも親猫に抱かれたつもりなのか静かに寝入りだしたので、娘さんも安心して仕事に心を向けることが出来た。時が過ぎてミルクをやるために行ってみると、驚いたことに、子猫たちが雌犬の乳房にしがみつき音をたてて吸っていた。見ると老犬の乳首から血が流れている。子猫に噛まれたのだろう。だが老犬は嫌がりもせず満足そうに出るようになった乳を飲ませていたという。老犬によって子猫は成長したと聞いている。
 
人間が畜生とさげすむ動物たちにも、こんな愛情がある事を忘れてはならない。
 
「鳥は木に住み、魚は水に住む、人は情けの下に住む」と言う。人間として生きることの『恥』を忘れた人は、いつの間にやら『情』も忘れた時代に生きる不幸に気付かねばならない。
 
先に出て来た、マナーを守らぬ自分勝手な母親たちに育った子供たちは不幸である。食糧や衣類も不自由でなく、教育教育と、全てに恵まれて優秀な学歴を身に付けて成長したとしても、心の冷たい自分勝手で非常識な親に育った子供たちは、どの様な人間として社会人になるだろう。自分を育てた親と同じ様に、人の事などどうでもよい。自分だけがよければそれでよいという考えしか持てない人間に成長したらどうなるだろうか。世の自分勝手なマナーを知らぬ非常識な親と名の付く人間は考えてみなければならない。
 
貴方の子供さんは、貴方の生活の中に育って行くのです。貴方がもしこの部類の仲間に入る様であったら、貴方の子供さんも必ずエゴイストな人間に成長するでしょう。もし貴方の子供さんが自分本位なエゴイストな人間として成長した場合、他人は貴方の子供さんとの縁を切れば終わりですが、親子の場合はそれでは済まされません。貴方たちが年老いた時、成長した子供さん達が自分勝手に親を親とも思わず、自分たちの家庭を大切に子供本位に心を向けて、冷たく振り向いてももらえなかったら、貴方たちはどんなに淋しく悲しいか考えてみた事が有りますか、だが、そのような人間に子供を育てたのはマナーを知らぬ貴方なのですよ。
 
人間は勝手なもので、自分たちが若い頃行ったことや思想的に間違っていた事をけろりと忘れて「わしらの若い頃はあんなものではなかった」と言いたくなるものです。
 
可愛がって育てた子供が成長して、親に淋しい悲しい思いを与えるようになった、その原因が自分たちにある事に気付かなければ解決は出来ないのです。
 
マナーを知らない大人たちよ、貴方たちも年を重ねて老人になるのです。能力も体力も行動力も経済力も低下して行くのです。そうなってから慌(あわ)てて泣いて訴えて縋(すが)っても遅いのです。私の子に限っては通用しません。
 
人間は自分だけでは生きて行けないのだから、老後の安らぎを望むなら、人を愛し、人の心に喜びの種を蒔くことです。豊かな心の親に育った子供は必ず心豊かな人間として成長します。その成長に一番功徳を受けるのは親である貴方なのです。

合掌

宝塔第302号(平成17年3月1日発行)