「宝塔」第320号
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 “やろう”という強い信念で実行する 
そこに幸福が生まれる

 「“やろう”と言う強い意志は、これまで行ってきた行動の回数と、その時の決意の強さによって決まります。そして行動にかかるたびに、人間の脳は成長します。そうなった時、本当の信念が生まれるのです。せっかく決心しても、また美しい気持ちを抱きつづけても、実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、その損害は機会を失った時より、はるかに大きいでしょう。その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、心の冷たい人になってしまうからです。口先だけなら、誰でも強そうなことが言えます。でも実際にその場で発揮できる勇気は、いつの場合でも充分ではありません。私たちは勇気が毎日少しずつ蒸発するにまかせているからです」
 これは三重苦を一生背負い続け、その中でも人生を有意義に過ごす勇気を持ち続けることが出来たヘレン・ケラーの言葉であります。
 私たちは生活する中で何かを成し遂げようとする時、常に困難にぶつかります。その時にどう判断するか?
 「私にはこれを克服する力はない。諦(あきら)めよう」と言って今までの苦労を水泡のごとくするか。「いや、この困難をどうしても乗り越えていく。それが私を成長させるのだ。諦めない」と考えていくか。それは一人一人の意志決定に委(ゆだ)ねられています。
 今日、日本は物に不自由をしません。お金を出せば手に入らぬものは何一つありません。しかし、以前こんな記事が、新聞に書いてありました。
 「物が豊富にあり、便利主義の中で生活する人は生活力が衰え、生命力をも失われていく」。
 つまり、何かを成し遂げようという意志をも弱まらせていくのです。
 以前、こんな青年が訪ねて来ました。
 「先生、僕は生きる自信がありません。何をやってもやる気がなく、すべてが虚しく感じられるのです。本を読んでも面白くなく、旅行へ行こうと思うと、みんな似たような所だから同じさ、という考えがして、行く気になれなくなるのです。何か人生、感動できる楽しくなる方法はないでしょうか」
 「君は何か信仰しているかね」
 「いいえ、おばあさんが仏壇をよく掃除していたのを覚えていますが、母親の代になってからは仏壇は閉じられたままなので、信仰には縁がないようです」
 「では仏は信じるかね」
 「わからないんです。ただ拝むだけなら、学校の受験とか自分の病気の時にしたことはありますが、それが自分の思う結果にはなっていなかったのです。だから、仏と言っても分からないんです」
 「じゃあ、君は親についてはどう思っているのかね」
 「親ですか、家の中でもあまり会話らしい会話はしたことはありません。親は親の人生、私は私の人生です。だから、あまり親については考えたことがありません」
 「それでは、家で自立した生活は出来ているんですね」
 「いや、ぜんぜん、気力がないんです。掃除、洗濯、食事、すべて親に頼っています。それが子供の頃からの習慣みたいなものなのです。私には出来ることはテレビを見ることぐらいです」
 「では、何かを自分で作ったことはありますか」
 「ありません。壊れたものを修理することも、何かを作ることも。壊れれば店に行って新しい物を買います。すべての物が売っているのです。先生、毎日が楽しくないのです。助けて下さい」
 「君の話を聞くと、自分である目的のために行動する、実行することがない。また自分に対して自信がないようですね。
 私の知っている人でこんな方がおられますよ。その人は八十歳になるおばあさんです。何分、昔の人だから、学校などろくに行っていません。ところがこの人は、仏の教えを信じ聞くうちにとても大きな仕事を成し遂げたのです。仏の教え、仏を信じることは難しいように感じるかも知れないがそうではありません。
 この人は教会に足を運ぶうちに、徳を積むことが幸福になる道であることを悟ったのです。徳を積むということは、自分以外の人に喜びを与え、苦しみを抜いてあげる働きです。
 人生自分のためだけに過ごすには短すぎると思いませんか。このおばあさんは、今、自分が生かされているのは、尊い仏さまのお蔭である、少しでも人さまのお役に立つ行いが出来れば、私の先祖、子供、孫までともに救われていくのだと悟り、行いを始めたのです。
 それは、道端の缶拾い、公園のトイレ掃除など、汚れた場所があると、毎日、ほうきと雑巾を持って出掛け、誰が見てもきれいだと言われるぐらいに掃除を楽しんでしたのです。
 掃除が取るに足らない仕事であると考えればそれまでですが、この方は毎日それを喜んで続けられました。
 見る人は見ていたのですね。ある時、町のなかでそのおばあさんの行いが認められて、町から感謝状まで頂くことになったのです。
 素晴らしいと思いませんか。とにかく、ある行動を起こすためには、自分の心をしっかりさせることが先決ですよ。君は今のままではいけない。君の状態を見ると生きる屍(しかばね)と同じではありませんか。
 まだまだ若いエネルギーがあるのだから、それを生かさなくてはいけません。本当に人生の喜びを見つけたいと思うのであれば、正しい信仰を持ち、正しい教えを聞くことですよ。また苦しい人生と思われることも、喜んで生きている人を観察し、真似をすることから始めてみてはどうでしょうか。初めは形だけ、でも後から必ず心が入ってきます」
 とお話をしました。
 現在、こういう若者がふえています、物があふれてあって当たり前、何不自由なく子供時代を過ごし、自立をする必要がなく、自律ばかりを強制されてきた。大人社会がつくった世界で良い子を演じてきて、当てがえられるレールがないと何をしたらよいのか分からなくなる。
 遊ぶためのお金を得るために働く時代は過ぎました。生きるために働かなければならない世の中になってきています。早く自分というものに気づき、人間はどう生きるべきが知ることが大切です。
 親・先祖があって自分の存在があること。地域社会があって自分の存在があること。様々な師匠があって今の自分があること等々。その恩を知って報いていく生活は心地よいものです。
〔敢行〕最初は、敢(あ)えて行おうという強い意志を持って行って下さい。続いて、怠け心もおきますから、
〔貫行〕続けていこうという貫いて行う強い心をもって、
〔慣行〕続けられるとそれが習慣となって、いつの間にやら、自分が生まれ変わっていることに気づきます。

〔敢行→貫行→慣行〕この言葉は、京都東福寺・福島慶道老師の言葉を引用しました。
 この青年は、近くの教会へ日参すること、家では親の手助けからはじめました。すぐ嫌になったそうですが、とにかく続けました。自分が変わると周りも変わるのです。親も心配で言葉もかけれなかったのが、笑顔で言葉がかけれるようになり、青年の顔にも笑顔が出るようになり、親子の会話が出来るようになったのです。
 この青年に今の心境を尋ねますと、
 「何か自分が大きなものに護られているような、心からの安心を感じるのです」
 と語ってくれました。
 大きな正しい教えの信仰を持った人との交わりを持ち他人が喜ぶこと人が良いと思われることを自分の出来る範囲でコツコツと行い続けると、仏に護られているという意識を持てるようになるのです。それが自信となり、生活体験を満足のいくものにしていきます。これこそが自分の仏性の発見なのです。

合 掌

宝塔第320号(平成18年9月1日発行)