「宝塔」第350号
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四   恩

 『仏の恩に報いざれば無明の中に迷う』
 との言葉がありますが、これは私たちが平穏無事な生活を送れないのは、仏様のお陰と感謝の心で暮らす事が出来ず、自分の事のみ考えているからだ、と言うことです。私がこの仏様の教えを聞ける様に成ったのは、戦後しばらくして二十三歳の時でした。それは信仰を持っておられる方から、
 「今貴方は年も若いから希望に燃えて、あれこれしたいと思っていると思いますが、自分の思いが叶っても幸福とは限りませんよ、貴方のお父さんにも青年時代の希望に燃えていた時もあったと思いますが今はどうですか」
 と聞かれました。
 考えてみますと父の一生はあまりにも惨めだったと思ったのです。それは母と恋愛をして、結婚して、二人の子供が出来てから仕事に失敗をし、食うや食わずの生活の中で胃腸を患い、四人五人と子供が出来て、母が下の子供を背負って、屋台を引っ張り氷水を売ったりしていましたが、ついに行き詰まり、母の親元を頼って田舎に帰り、そこで腰を据え、朝三時頃から夜十一時すぎ迄こつこつ働き、只子供の育つ事を願い一生懸命にやって来ました。
 やっと自分の家が持て、長男が結婚をしましたが、母との折り合いが悪く、次男、三男、四男が腸チフスで隔離病棟に入院をしていた時に長兄夫婦が家を出て、私たちが退院をしました時、工場と住居のガラスが全部割られていましたので母に聞きますと、一番苦しい時に兄が家出をした事で父が気が狂ったようになりガラスを割ったとの事でした。まだ子供の私には父親の心境は分かりませんでしたが、私が成人してから分かるような気がしました。
 それから次男を頼りに生活をしていましたが、戦争に行き身体を悪くして、二十一年八月、二十七歳で亡くなりました。四男は戦後、シベリアに抑留されて二十一年の一月病死をしたとの事、戦友からの便りがあり、母親がどんなに悲しんだ事か、それから寝たり起きたりの日が続くようになり、頼りになるのは私一人に成ったようです。その私が、希望を持って家を出ようといつも考えていたのです。
 叔父の一生を見ても、結婚して大阪に出て、四人の娘の親になったのですが、四人とも一人前になると、次々と結核で死に、叔母まで同じ病で亡くなりました。
 そこで信仰を持った人より言われました事は、
 「今は希望や若さで何でも出来る様に思っても、自分自身の幸せをどんなに願って努力をしても思い通りになる事はありませんよ、親がそうであった様に、何も悪い事はしなくても叔父さんも同じだったと思いますがどうですか、幸せは掴めたでしょうか、只、晩年になって諦めて行くしかなかったでしょう。信仰は他の人の幸せを願って努力をして行く事、人の幸せを見て喜びにする事ですよ。そこには無限の喜びと感謝が生まれて来ます。人と生まれてこれ程の大きな喜びはありませんよ、親の一生を見て、喜ばれた事や感謝をされた事がありますか」
 と聞かれた時、私は親の一生を振り返り思い起こしてみました、黙々と働くだけの一生、心の中は分かりませんが、喜びの顔を見たのは一度だけ、私が戦地より復員して元気に帰ってきた時だけでした。
 そうした事を思い浮かべ、私のような者でも仏様の教えが聞けるでしょうかと尋ねると、
 「どんな人でも仏様は慈悲深い方ですから必ずあなたの心を開いて頂けますよ」
 との答えでした。それから後は少しでもと思い勉強をしました。
 日々どんな事があっても喜びにかえること、そこに感謝が生まれます。少しでも仏様のお手伝いをさせて頂こうと思っています、その心が仏の恩に報いる事だと思います。

 『天地の恩に報いざれば、心身の安らかさは得られず』
 私たちが今日生きていけるのは、自然の恵みのお蔭です。お米一粒も生きています、野菜・魚・肉もすべての物に生命が有り、その生命を殺して私たちが生きています。勿論、お金は払いますが、他の生命の上に私たちの生命が有るのですから、食べ物に対して有り難うございますと手を合わせて頂くことです。このことが分からない人はよく病気になります。
 ある人が入院をして検査の結果腎臓が悪い事が分かり、三ヵ月の療養と決まり、入院生活が続きました。見舞いに伺いますと暗い顔をして「病院の食事が毎日ジャガイモを湯掻いた物しか出てきませんので、食事の時が一番嫌です。それでもお腹が空きますから仕方なく食べています」との事でした。私は、
 「何を言っているのです、今貴方に必要なのは、その食物ではないですか、毎日手を合わせて頂く事により、自分の生命が保たれているのだから、本当に有り難うございますと感謝して頂くことです。大体、貴方は食べ物によく不足を言ってみえるでしょう、病気をしたら薬を呑むでしょう、薬は美味しいですか、苦いでしょう、薬を呑まなければ病気は治らないと思うから呑むのと同じ様に、食べ物は自分の生命を守ってくれる恩人と思って感謝して頂くことです。それが出来なければ、三ヵ月、半年経っても病が進行していくだけです。一生懸命に拝んで感謝をして頂きなさい、それが一日も早く退院出来ることになりますから」
 とお話をさせて頂きました。その方はそれ以来、毎日どんな物でも手を合わせて拝んで頂く様になり、思ったより早く退院が出来ました。食物は天地自然の恵みの中から生まれたものです。これが人の生命を守っているのですから常に感謝をして頂くことです。

 『衆生の恩に報いざれば、孤独の中に生きる』
 私たちが生活をして行く上において、この世の中は一人では生きられません。食べ物一つ、着る物一つでも常に多くの人達のお蔭があるからです。一人家にこもっていては生きられません。人との付き合いは嫌な事もありますが、それを捨てて良い面だけ見て暮らすことです。一軒の家で一人の病人が出ても家の中が暗くなります、病人は自分の事が思うように出来なくなると、自然に僻(ひが)みっぽくなり、皆がかまってくれないとか、私なんか早く死んだ方がいいとか言いだします。そうすると、病人を介抱する人は気が重くなり大変です。病人は少しくらい身体の調子が悪くても、「今日は気分が良い」とか「皆に世話をかけてすみません」と、一言あると介抱する人も良かったなあと心が和み開けます。この一言が周囲の人に喜びと安堵を与える事になり、この心が衆生の恩に報いる事になるのです。この一言が大切です。

 『親の恩に報いざれば、子孫の繁栄は得ず』
 との言葉があります。子供は親の背中を見て育つとの言葉がある通り、子供は親の成す事をじっと見て育つものです。
 ある家庭で子供が三人有りましたが、三人とも大学を出て結婚をされましたが、各々住宅を持つと、殆ど親の所へは来なくなりました。両親は孫の顔も見たいし、家の方へ来るようにと伝言しましたが、忙しいし、嫁さんも行きたがらないし、自分の方へもあまり来て欲しくないとのことでした。親は大学まで出してやったのに何にもならないと喜びのない生活をしてみえました。年金生活で毎日ぶらぶらしながら不足を言ってみえるのです。
 こんな人を見ると気の毒に思いますが、それはそれだけの原因があるのです。この人達は三人目の子供が出来た時に姑さんとの折り合いが悪くなり、親の家を出られたのです、家を出てからは殆ど親の所へは行きませんでした。勿論、そのお嫁さんは家を出てから一度も親の所へは行かず、両親が入院された時も、お見舞いにも行かず両親が亡くなるまで行かれなかったのです。そして葬式にだけは行かれたそうです。この姿を子供たちはよく見て育ちましたから、子というものは結婚をしたら親の所へは行かなくてもよいものだと思ったのでしょう。
 この三人の方々も、今は子供の事で一生懸命でしょうが、やがて子供が一人前になると、各々親のもとを離れて行き、親と同じように淋しい老人の一人暮らしをすることになります。
 人の幸福とは毎日の生活の中に喜びと感謝の心があることです。四恩を忘れずに暮らして下さい。  
                            
                            合 掌

 

宝塔第号(平成21年3月1日発行)