現代の世相を見ると余りにも殺伐(さつばつ)としている。親が子を殺し、何でもない少しの事で怒って子が親を殺す、少年が何かの争いで友を殺す、こんな事が日常茶飯事の如く新聞の記事を埋めています。
人の心は自分の都合の良い事は良いが、一つ悪いことになると思わずカッとして相手を傷つけたりしてしまいます。
今の世の人々は、人間として何か大切なものを忘れているのではないかと思います。日々の新聞やテレビニュースを見ると心が痛みます。人が喜ぶ姿を見て共に喜びを感じるとか、今日の一日が無事であることを感謝して日々を過ごす心を失っていると思います。この様な世の中ですから余計に、今日も一日お蔭様と思って生活することが大切ではないでしょうか。
子供さんに、それ勉強しなさい、塾へ行ってしっかり学びなさい、こんなことをしてはいけない、こうしなさい、といつも親の考えを押しつけていて、良い子供に育つでしょうか。昔の人は子供に、米一粒でもお百姓さんが八十八回も手を掛けて出来上がるのですよ。お魚一匹でも、漁師さんが、暑い夏でも、寒い冬でも、波の高い荒れた海でも、網を張って捕まえてきたものですから、手を合わせて頂きますと言ってから食べるのですよ。一枚の紙でも、その様にして私たちのところで使わせて頂くのですから、無駄にしないよう、うるさく教えていました。こうした心から一日一日を送らせて戴いているのですから、何でも大切にしてきたと思います。
現在、私たちはお金を払えば何でも手に入るものと考えています。私たちは自然の恵みの中にあり、野菜・お米・お魚など生きているものを食して、自分の生命が保たれているのだと言うことを忘れているのではないでしょうか。だから子供さん達も合理的な考え方になって行くと思います。こんな事から自己中心的な考え方になって、他の人のはたらきに対しても感謝する事もなく、思うようにならないと家を出たり、車に乗って走り回り、事故を起こす事になる場合が多いのです。
ある人が親を養老院に入れて、やれやれ、これで気が楽になったと、二年もの間、一回も親の所へ訪れる事もなかったとの事です。こんな親の姿を見て育った子供もやがて大人になると同じ事をするのでしょう。
又、こんな家庭もありました。このおばあさんはご主人が二年前に亡くなられてから、息子夫婦と毎日にらみ合いの生活をしてみえたのです。聞いてみますと今住んでいる家はご主人の退職金を頭金にして息子の名前でローンを組み住んでいるのだそうですが、毎日、お嫁さんとは上手く行かず、無言のまま生活をしているとか、こんな暮らし方が死ぬまで続くのかと、自殺でもしたいとの事、お孫さんが二人いて、この子たちがお母さんなぜお婆ちゃんと喋ってはいけないのと、不思議に思うのかそんな話をしているのを聞いた事があります。
嫁と姑とは難しいものですが、やがて、そのお孫さんも同じような事をするのです。
こうした話の中にも、今の世の中の姿を見ることが出来ます。子供はよく親の行為を見ております。このお嫁さんが、「昔、日本の国が大戦争をしたことがあって、その時は食料も乏しく、着るものもあまり有りませんでしたから、靴下など破れても継ぎ布を当てて繕って履いたものです。色々と苦しい中で、おじいさんやおばあさんは、私たちを育ててくださったのです。だから、おじいさんやおばあさんを大事にしてあげなければね」と聞いた昔話を子供たちに教えることが大切だと思います。そして自分自身もお年寄りを大切にして行くことを子供に知らせ見せることです。今日、こうしてあるのは、そうした人達のお蔭であることを教えていくのが、自分勝手な子供たちにしないことなのです。
ある家庭の話です。早く主人と死別して、掃除婦をしながら三人の男の子を育てていた人があります。この子供たちに、「お父さんがいなくても私が一生懸命働いて食べることだけは心配ありませんから、自分の将来は自分で考えていかなければなりません」と何時もこうした話をして、明るい家庭にするようにと頑張っておられました。その三人の子供たちは、何でも自分のことは自分でと、お互いに助け合って親を頼ることなく、家の手伝いをしながら勉強をして大学を卒業されました。結婚してからも、親を大切にして、お母さんお母さんと言っては常にお小遣いを持ってこられるそうです。今は旅行が楽しみで、度々飛行機で旅をするそうです。旅行の前には必ず三人の嫁に会って、「今度また出掛けます、飛行機が落ちてもいいように保険に入っていきますから、もし落ちたら三人で仲良く分けて下さい、だから少しお小遣いをくださいね」と言っては出掛けられます。お嫁さんたちは、「お母さんの乗る飛行機は、なかなか落ちないですからね」と朗らかに笑って送りだすそうです。
こんな会話を聞いておりますと、何か心が和やかになり、楽しくなってまいります。
このお母さんは立派な方だと思います。子供さんを育てているときに、常に自分のことは自分で考えて何でも良いから自分でやることだと教えられたことです。
世間一般の親たちの考え方をみますと、常に親の考えを子供に押しつけている場合が多いようで、それが子供のために必要だと思っていることです。
人が生きるために持っている命は天と地の創造の中より生まれたもので、どんなに科学が発達しても、生命だけは創造することは出来ません。生命を創造された天と地の中の神仏に、今日あることを感謝することが大切だと思います。
仏様の説法の中にあることですが、釈尊が托鉢(たくはつ)に行かれたときのこと、弟子の一人に人の命はどれ程かと尋ねられました。その弟子はとっさのことで、暫く考えていましたが、「今日あって明日なき命と思い、一日の間と思います」と答えたのですが、釈尊は、「いやいやそれは違います」と言われ、また別の弟子に尋ねました。その弟子は考えながら、昼の食事をした人が、夕べにはもう不帰の人になっているのを思い浮かべ、「食事の間にあると思います」と答えると、「いやいや人の生命は呼吸の間である。息を吐いて吸う力が無ければ、吸った息を吐く力が無ければ、生命は終わりを告げるのです。呼吸の間です」と言われました。
これは生命のはかなさを知って修行に心することを説法されたお話であり、人の命のはかなさを教え、今ある事を大切にする事のお話です。
この様に命の尊さを良く知って、今日あることに感謝をすることです。
また、この命を大切に守るために、毎日の食事があります。この食事は大自然の中より生まれたものばかりです。病気をして食べられない人が大勢いますが、この食事に感謝のない人は病気になるのです。今日、食事の出来る身を、もっともっと喜びと感謝の心で受け取ることです。
この命をつなぐ食物にもすべて生命があるのです。私たちの生命はその他の生命の上に保たれているのです。
野の草花、一本の木を引き抜けば、必ず根があります。生きとし行けるものは、すべて目で見ることの出来ない根があり、母より受け継がれた生命です。先祖があって父母があって、私たちの今日があることを思えば、今を感謝できるものです。只、自分のことのみを考えて生きることは大きな誤りです。
今日も一日お蔭様で、と言える言葉の中には、こうしたすべてのことに対する感謝の心が含まれております。
今日も朝が来ましたと手を合わせ、夕べを迎えたならば必ず、今日一日お蔭様で暮らさせて頂きましたと感謝をし、明日もよろしくお願いしますという心で日々を送ることが大切です。
合 掌
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