私の家には、何十年も前から薬箱が置いてあります。中身は当然、頭痛薬や腹痛薬、キズ薬や絆創膏等ごくありふれた薬が入っており、万一怪我や病気になったら使う為の常備薬です。
六月と十二月の年二回、顔なじみの富山の薬屋さんが訪ねて来て、新しい薬と入れ替えてくれます。それと同じように、私の心の中にも薬箱が一つ置いてあり、万一の時には使うようにしています。あたりまえの事ですが、その中には頭痛薬やキズ薬は入っていません。
入っているのは、仏様の教えです。
中でも、何事も自らに縁があって起こるのだという縁起の教えで、この薬は結構重宝しています。長くもあり、短くもある人生の中、誰しも幸せになりたいと願う気持ちは同じでも、万一に備えて薬箱を心の中に置く人と置かない人、仮に置いてあっても入れる薬の違いによって人生を大きく変えてしまうようです。
つまり、その薬の基となる考え方、いわゆる人生観が人によってかなり異なり、その結果人生に大きな差をもたらすのでしょう。
では、その薬の基となる考え方の幾つかを見てみることにします。
一、宿命論
現在、自分の置かれている立場は、生まれる前から定められており、この世に恵まれている者は前世以前の過去世の善き行いがさせる結果であって、今がどうであろうと今世中の出来事は既にきめられてしまった天命である。
そして、恵まれない者は過去世において悪い事をしたその報いなのだから、どうあがいた所で如何ともし難い、今更どうにもならない事と考えるのが宿命論です。
いくら努力しても決まっているのだから、どうしようもないと思い込み、嫌な事よりも好きな事を選んで、良くも悪くも決まった事だからと、自分の力を発揮する事なく人間を小さくしてしまう生き方です。
二、偶然論
どんなに幸せであろうと、どんなに不幸にさいなまれようと、それは全部偶然であって、どんな力も加わるものではないと考えるのが偶然論です。
お金に恵まれようと恵まれまいと、健康であろうとなかろうと、とにかく全てが偶然の出会いであって、自分の力の及ぶものではないと信じ、その時々が面白おかしく暮らして行けば一番良いと安易な道を選んでしまう生き方です。
三、神意論
この世は神が造り、人の運命も神によって左右されるのであって、人の運・不運も全て神の計らいであるから神の意志に従って生きることが幸せであると考えるのが神意論です。
自分の人生を神にまかせ仏にまかせて、熱心に信仰する人は、一見信心深いように思えますが、実は自己満足の祈願信仰にすぎないことが多いようです。
人間の力では、どうにもならないのだから神仏にお祈りするしかないのです。
お金が儲かりますように、病気が治りますようにとお祈りさえすれば、何とかして下さると信じてしまう生き方です。
このような考え方、生き方で本当に幸せならば、そして幸せになれるのなら結構なことですが、宿命論や偶然論は言うに及ばず、神頼みの神意論も、あくまで宿命的であったり偶然的な要素を否定できません。なぜなら、神仏に祈っても必ず思い通りになるとは限らないからです。
つまり、このような考え方が薬の基とされていたのでは何時まで経っても良くなる病気も良くならないと言わざるを得ません。本当に幸せになる為には、その為の薬を用意しておくこと。それは、仏様の教え以外にないのです。
その証拠に、仏様は何一つ欲を持たずに、只慈悲心だけで私どもを救いたいと思われたのです。又、仏様の慈悲心は常に私どもに向けられ、苦を抜き楽を与えようと教えを残されました。
例えば、母親が我が子を思う心に似て、とても清らかな気持ちで私どもを救いたいと思われたのです。ところが、子供である私どもは仏様という親の心を知らず、自分勝手な行動をしては怪我をしたり、病気になったりして苦しんでいます。
高い所から低い所を見下ろせば、すべて手に取るように解り、それが仏様の立場であって私どもに注意を与えて下さるのです。
だから、素直な気持ちで喜んで、仏の言葉を聞き入れその通りに実行したなら、何の苦しみも起こりはしないのに、悲しいかな煩悩がひとり歩きして知らず知らずのうちに、欲望を満たす事しか考えていません。愚かなことです。情けないことです。だからこそ、仏様の教えを聞いて頂きたいのです。そして、心の薬箱の中に仏様の教えを入れて頂きたいのです。
仏様は、この世の中の出来事に対して、すべて必然でありどんな事でも縁あるからこそ現われるのだと言われました。つまり、悪い縁を切り、良い縁を結ぶことこそ最善の方法であるということです。
心はおさめ難く
軽々と動揺し
欲するままに進む
心おさめることは善いことであり
おさめるなら安らぎを受けることができる
心を自由にコントロールすることが出来れば、悪い縁を切り、良い縁を結ぶことは決して難しいことではありません。その為には、自らの心を自らの善意によって動かすことのできる強い意志を持ち、
仏法の本意は唯、悪を避け非を防いで以って旨となすなり
という言葉どおり、悪から自分の身を遠ざけることが肝要なのです。
唯、万一の出来事が起きた場合は、常に心の中に置いてある薬箱から、自分に縁があるから起こったのだという縁起の薬を取り出して飲み、心を和らげて頂きたいのです。
悪い縁を切り、良い縁を結ぶ事はそれ程簡単ではないでしょう。だから、いつまでも悪い縁を引きずり、万一の事態が起こるのです。
その時の為に、あなたの心の中の薬箱にも、自分の縁あっての出来事であると考えられるような縁起の教えを入れておいてほしいのです。
合 掌
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