「宝塔」第210号
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 親の魂 (生命) は
    生き続けて見守っていて下さる

  
 人間は死んだら一貫の終わりで、 何もかも無くなると考える人もありますが、 法華経の如来寿量品には、 
 生命は永遠なり肉体は無くなっても、 魂は生き続けると教えられています。 
 亡き親は子孫を常に見守っていて下さると、 体験を通して私は信じています。 
 一九七三年十一月、 大乗教団八十三名で渡印し、 仏舎利 (お釈迦様のご真骨) をインド政府より奉受し、 列車で仏蹟巡拝の旅をした時の事です。 東京からMさんも一緒でした。 Mさんは旅の半ば疲れもあり、 腹の調子が悪く、 何も食べられません。 田舎で病院も医者も無く、 列車で休んでいただいていたのです、 時々見舞っては元気づけていましたが、 心配でした。 
 翌朝Mさんが元気な声で 「ああ有り難い、 明け方、 大工の小僧をしていた時の親方さんが来られて、 自分の胸から大きな乳房を出されて 『安心して乳をのみなさい、 元気になる必ずよくなる』 と言って私の口に乳を与えて下さいました。 ありがとうございます、 ありがとうございます。 とお礼を言って目がさめました。 何だか身体が軽く動けて、 元気になりました」 と喜ばれ、 数日のうちに元通り健康体になられました。 二十年前に亡くなられた親方さんが 「遠くインドまで来て、 私を助けて下さいました」 とMさんは心より喜ばれました。 
 Mさんは渡印される十数年前、 大病を患われて九死に一生を得られました。 健康になられ仕事も順調になった頃、 お世話になった親方さんの夢を、 三日連続で見て、 気にかかり、 山梨の親方の家を尋ねたら、 小僧時代一緒に働いていた息子さんが病気で亡くなり、 残された家族が苦労されておられたのです。 お墓を詣でたのですが、 墓石も無く、 荒れ果てているのを見て、 お世話になったご恩返しに、 石材店に頼んで墓を建て、 家族に生活費を渡してお助けした事がありました。 助ければ助けられる 大工の親方さんが弟子を案じて、 インドに同行され、 常に見守り助けて下さったのだと信じられるのです。 
 私が青年の時でした。 隣町のNさんが子供の病気で悩んでおられると聞いて、 友達と一緒に夜自転車で伺いました。 四歳の坊やが毎晩寝小便をして困り、 良いと言う事はいろいろ行ってみたが、 治らないと言われます。 ご主人が戦死をされ、 三人の子供を抱えて苦労しておられるNさんに 「ご主人はどこで戦死されたのですか」 と尋ねると、
 「輸送船が沈没して海で亡くなりました。 主人が亡くなったものですから、 この私が人一倍苦労せねばならんのです。 仏壇の前で文句を言い、 毎日愚痴をこぼしているのですよ」 と言われました。 
 「亡きご主人に不平を言い、 愚痴をこぼしていたら助けていただけません、 ご主人の無念の心を汲み取って、 お題目を唱え、 子供を守って下さいとお願いすれば、 必ず守って下さいます」 と申し上げると、 Nさんは 「主人が亡くなる日に夢を見ました。 部屋に主人がいて窓から水が入って来て、 もがきながら私の名前を呼び続け、 水が一杯になり主人の姿は見えなくなりました。 短い時間と思いましたが、 目がさめると全身に脂汗をかいていました。 夢を見た日時に船が沈んで、 主人は亡くなったと知らせを受けました。 これからは主人の心をよく知って愚痴を言うのを止めます」 と涙ながらに語られました。 
 母親の心の立て直しが出来、 妙法の功徳と、 父親の思いに守られて、 坊やの寝小便はピタッと止まり全治しました。 これがご縁で大乗の教えが聞けて、 信じていただけるようになりました。 
 古着の行商をしておられたNさんには、 八十歳近い老いた母親がおられました。 三人の子供を抱えて、 未亡人になった娘に、 時々小銭を渡していたそうです。 

 今日あるは親のお蔭と感謝して

 よみがえる妙法の教えを聞いて、 喜び感謝の生活に切り換えて行くよう努力され、 老いた母親のお蔭で今日があると気付いて、 古着の仕入れの行きか帰りに母親を尋ねて、 妙法を唱えて、 身体をさすり、 拝まれるようになり、 十年近く親孝行をされました。 
 母親は大変喜ばれ、 亡くなる三日前 「お前には大変世話になって、 ありがたかった。 私が死んだらお前の病気を持って行ってやる」 と言われ、 心の中で死んだ人が生きた人間の病気を 持って行く事など出来ないのに と思ったのですが 「そうですか、 ありがとう」 と言っておきました。 
 年月も過ぎ、 おかげで子供達は成長して、 娘たちは嫁ぎ、 息子と私は寝具店を始めました。 
 夏の時期は寝具は売れませんので、 シーツを七、 八枚持っては個別訪問の販売をしておりました。 毎日炎天下を歩き続けているうちに、 疲れ果て倒れる寸前に家に帰り、 食事の支度もせずに、 横になりました。 
 その夜に亡き母親が、 疲れた私の足を一心にさすっていて下さいました。 夢の中でしたが、 すみません、 ありがとうございます、 とお礼を言って目がさめました。 
 起き上がって歩いてみたら、 足のだるさは無くなり、 身体が軽く動けるのです。 有り難い事に亡き母親が助けて下さったと喜びました。 早速、 顔を洗って仏前で合掌しお礼のお参りを致しました。 
 それから一年過ぎた秋に、 町の公民館を借りて寝具の展示会を開きました。 前から準備をし、 当時お客様の相手をしていた時、 肋間(ろっかん)神経痛を患っていた為に、 身体を動かす事が出来なくなり、 息子に家に送ってもらいました。 這(は)うように居間にたどり着き、 横になり食事もしないで休みました。 その夜でした、 又、 母親が床の上に倒れている私を、 軽々と抱えて布団の上に寝かせてくれました。 腕枕をし、 添い寝をして、 痛い胸をさすり続けてくれました。 夢の中で何度も母親にお礼を言って、 目がさめ、 身体を動かしても、 頭を下げても痛みません。 
 「お世話になりました、 有り難うございました」 と仏前で深く頭を下げて、 お礼のお参りをしました。 
 外交は息子がやってくれますので、 私は暇をみては、 ミシンでカーテンを作っておりました。 古い家庭用のミシンで時々調子が悪く、 夕方とうとう動かなくなってしまいました。 十一時過ぎて床に入って休みました。 朝方でしたが母親が夢に出てきて、 私の名前を呼んで、 「ミシンが悪くなったのではない。 ミシンのベルトが緩んでカラ回りをしているのだから、 ベルトを取り替えれば、 元通りになるんだよ」 と教えていただいたのです。 起きてミシンのベルトを押さえてみると、 夢で母親が教えてくれた通り緩んでいるのです。 ミシン屋さんに電話をしてベルトを取り替えていただきますと、 調子良く動き、 仕事が出来ました。 
 死んだ母親の魂は生き続けて、 常に私を見守っていて下さる。 二度ならず、 三度までも、 私がミシン仕事をしているのを、 そばでじっと見ていて下さって、 ベルトが緩んでいることを教えていただけたのです。 有り難い事です。 亡くなる三日前に 「お前の病気を持って行ってやる」 と言われたが、 疲れまでも持って行って下さって、 心より母親にお礼を言い、 感謝していますと喜ばれ、 縁のある方々に、 「親ほど有り難いものはありません。 十年過ぎても魂は生き続け、 守り続けていて下さいます」と助けられたお話をしますと、 感心して聞いて下さる人もあれば、 そんな馬鹿なと信じない人もありますが、「 私は体験をして心より信じられます」 と折りにふれ縁にふれて、 聞かせて頂き教えられました。 
 素直な心で教えを信じて、 親に尽くされた事によって、 親が喜ばれ尽くして下さるのを、 善因善果というのです。 
 親ほど尊いものは無い。 死して後も魂は生き続けて、 子孫を見守り続けていて下さるのです。 
 心より喜び感謝して、 御供養を続け、 お礼を申し上げご恩に報いるよう、 努力して行くところに、 運命が良くなり、 幸運な人生を送ることが出来るのです。

合掌

宝塔第210号(平成9年7月1日発行)